不便さの効用
阿久悠作詞森田公一作曲で歌は河島英五さん。
名曲「時代おくれ」。
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
数えきれないヒット曲を出し続けていた阿久悠さん。
90年代になり陰りが見えました。
シンガーソングライター全盛の時代に入りました。
プロの作詞家の冬の時代です。
そんな阿久悠さんが21世紀に入り渾身の一曲を出しました。
時代に取り残されつつも自負を守る男の哀愁がにじみます。
「時代おくれ」の発表から20年余り経た現在の電車内。
大半の乗客はスマホとにらめっこしてます。
新聞や本を読む人は極めて少数派です。
絶滅危惧種という専門用語がはまります。
私は出かける時はトートバックを持ち歩きます。
吉田カバン製でかなりくたびれてますが手放せません。
ノートパソコンがちょうど入ります。
日経新聞に文庫本、時には専門書。
メモ帳と手帳、1.3ミリの超太字の2Bのシャーペンは必需品です。
胸にはガラケーです。
「時代おくれ」そのものと言って良い身の回りの品々です。
アナログ人間なのです。
LINEグループの情報交換からはかやの外。
メール等で時間差があって情報が入ってきます。
私とやりとりするのは手間がかかり面倒くさいと思っているはずです。
でも程よい不便さが新たな発想を産むためには必要でスタイルは変えられません。
手際よく情報が入手出来てしまうと考える間がありません。
すぐに検索結果をスマホで見せられるとがっかりすることがあります。
あれこれ考えを巡らせている時にアイデアがふと浮かぶからです。
不便さはアイデアのいわばお産婆さんをしているともいえます。
新聞や本で活字を行きつ戻りつ読むうちに閃くことはしばしばです。
書き留めるために太字のシャーペンとメモが必需品なのです。
「時代おくれ」の装備品は新たな発想を呼び込む道具です。
「時代おくれ」が時代を創るという思い込みは消えません。