岸田総理の訪米、終わりの始まり

ずいぶん前の話になります。
1993年6月18日宮澤内閣に対する不信任案が成立しました。

小沢一郎さんらが造反したためです。
小沢さんはその後新党を立ち上げました。

宮澤政権の屋台骨は自民党幹事長の梶山静六さん。
NHKの担当記者だった私は梶山さんの国会事務所に向かいました。

ふたりだけで応接のソファーに座り梶山さんの言葉を待ちました。
梶山さんの顔を見つめました。

突然梶山さんが男泣きしながら言葉を絞り出しました。
「諸先輩が築いてきた自民党をこんな姿にしてしまった…」

梶山さんの無念の思いがひしひしと伝わってきました。
私は一言も発することができませんでした。

梶山さんの部屋を後にした私は同じ議員会館内の別の部屋に向かいました。
自民党の総務局長を務めていた野中広務さんの事務所です。

野中さんにひとこと梶山さんが涙していたと伝えました。
見る見るうちに野中さんの眼に涙が溢れました。

梶山さんと野中さん、共に捨て身で闘う男同士に流れる熱いものを感じました。
政治は権謀術数渦巻く舞台の中で熱いもののふたちが演じるドラマです。

ひるがえって今日の自民党を見た時にここまでの熱情を感じるでしょうか。
自分の地位を守るための矮小化された芝居を見せられているように思います。

党が危急存亡の時というのならば身を挺して防ぐのが総理総裁や役職者です。
党の崩壊を防ぐ防波堤になろうとする人が出てきません。

岸田総理は「命がけで党の再生にかける。」と明言しました。
「命がけ」ということは自分が死ぬことを厭わないということです。

自派閥の資金のキックバックで責任があることは否定しようがありません。
自分は逃げて他人の責任を問うのは道理に合いません。

岸田総理は明日バイデン大統領と会談します。
外交の華々しさで目をくらまそうとしてもそうはいきません。

責任を果たす最期の大仕事は残ったままです。
自ら政権の幕引きの台本を書き演じる以外に道はないと思います。