「政治屋」による政治から脱する道
「家」と「屋」のひと文字の違いが大きな差となる職業があります。
政治稼業です。
「政治家」というといっぱしの人物に聞こえます。
「政治屋」となるといかがわしさが加味されます。
政治家に批判が絶えないのは「屋」の方だらけだからと言えます。
「家」が付く本物を増やさなければなりません。
20世紀を代表する社会学者のマックス・ヴェーバーは政治家の3条件を示しました。
情熱、判断力、責任感です。
3条件が揃えば「政治屋」には転落しないということになります。
日本の政治の現状を踏まえると何かが足らないと感じます。
第1次世界大戦と第2次大戦の間、小国チェコを率いた大統領がいます。
マサリクです。
苦学して学問を積みチェコの独立運動に転じました。
彼は「哲人宰相」と呼ばれました。
1998年2月私は最初の町長選挙に出馬しました。
街宣活動中に2冊著書を差し入れてくれた人がいます。
マサリクの伝記とマサリクの思想を解説した本です。
選挙で専門的な著書をいただくとは思いもよりませんでした。
分厚くて見出しを眺めただけで終っていますが大切に書棚に並べてあります。
「哲人宰相」という言葉に強く惹かれ続けてます。
人生に対する見識を持っているのかも「政治家」と「政治屋」を分かつ条件です。
国内外を問わず現代の政治家に最も感じ取れない要素です。
まだ違和感はとれません。
日本独特の条件があります。
「義」の精神、サムライスピリットが挙げられます。
作詞家の阿久悠さんは武士は階級、サムライはスピリットだと言いました。
身を捨てて困難に飛び込む心構えです。
吉田松陰の大和魂と通じます。
もうひとつは「情」です。
政治が権力闘争であっても一定の自重と配慮は政治を美しくさせます。
「情」がそうした政治を産みだす源です。
「政治屋」ではなく「政治家」を目指す方はこだわってもらいたいです。
日本的条件がふたつ加わりました。
「政治屋」を脱する道筋がおぼろげながら見えました。