「政治屋」による政治から脱する道・最終章

脱政治屋政治について引き続き語ります。
情熱、判断力、責任感、哲学、義理と人情。

政治屋から断するため身に着ける徳目を挙げました。
最後に究極の条件を挙げます。

「無私」です。
私利私欲の超越、仏教とも共通性を持つ徳目です。

これが政治行動の背後にでんと控えていれば政治の景色は一新します。
身を滅ぼす原因は全て欲より発生しますので当然のことです。

欧米の政治学は現実政治を権謀術数渦巻く世界としてとらえます。
エゴのぶつかりを大前提にしていて「無私」などという徳目は思いつきません。

「無私」は身を捨て無の境地になることで活路を探るという政治態度です。
極めて東洋的というか日本的です。

代表的人物は西郷隆盛です。
私利私欲がない人物だから恐れが消滅しています。

西郷の言動を記した『遺訓』の一節です。
「事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用うべからず。
(略)正道を以て之を行えば目前は迂遠なる様なれども先に行けば成功は早きもの也。」

目先だけを見て愚かな動きをするなと言ってます。
脱政治屋政治のための絶対的目標に思います。

政治屋政治とは目先の利益を求めて右往左往することです。
カッコ悪いし美しくありません。

西郷はそれは恥ずべき態度だとズバリ指摘しているのです。
泰然自若の構えを求めてます。

空虚な理想論を論じているのではありません。
日本の政治家ならば西郷の警告に耳を傾ける必要があります。

日本は、人は減り、高齢者が増え、子供の数は少なくなり続けています。
経済の隆盛は過去のものです。

小手先の策を弄したところで復活する訳がありません。
西郷の言うところの正道を踏むしかありません。

財源論議には目をつぶりあめ玉ばかりをばらまくのが正道とは思えません。
痛みを伴ってもやらなければならないことをやるしかありません。

ここに政治屋ではなく政治家が断じて必要な理由があります。
政治を志す人は「屋」ではなく「家」を追求して欲しいです。