秋田県男鹿半島と中国との結びつきは驚くばかり。

先月15日日中歴史文化交流センターの設立準備会を立ち上げました。神奈川県内にある中国の遺跡や伝承を調査しているグループの交流センターを目指しています。

写真: 秦の始皇帝が不老長寿の妙薬を求めて派遣した徐福の伝説。秋田の男鹿半島にもあることを知りました。徐福研究会は勉強になります。

昨日、秦の始皇帝が不老長寿の妙薬を求め派遣したと言われる徐福の伝説を調べているグループの勉強会が横浜でありました。交流を図るため参加しました。

神奈川の徐福の研究会は2ヶ月に一度レベルの高い研究会を行っています。昨日は江戸期の文人、菅江真澄(すがえますみ)を題材にした発表がありました。

菅江真澄は東三河、現在の愛知県豊橋市に1754年に生まれ、1829年に亡くなるまで諸国を旅しました。随筆家であり歌人でもあり画家でもありました。

写真:赤神神社五社堂(あかかみじんじゃごしゃどう) その1

(写真は、秋田県男鹿半島 赤神神社 秋田県総合観光ガイドホームページより)

菅江真澄が残した紀行文の中に秋田県の男鹿半島についての記述があります。なまはげ伝説の男鹿半島です。江戸期の寺や廟の様子が書かれていました。

徐福のほか、中国古代の帝国、漢を代表する皇帝、武帝を祀った廟があったというのです。更には武帝に使えた高名な家臣蘇武までが祀られていたというのです。

蘇武は、武帝の命を受けて当時漢と戦闘を繰り返していた匈奴との交渉に当たり19年間も捕らわれの身となりその後、漢に帰還した人物です。

菅江真澄の記述は一体どう考えたら良いのでしょうか。中国と関係が深かったの一言で済まされる話ではとてもありません。解明が待たれます。

徐福の塚については地元の方々が復元されたということです。中心となって取り組まれた老舗旅館、雄山閣の社長、山本次夫さんが昨日の勉強会に参加されていました。

山本さんになぜ漢の武帝が祀られたのでしょうと伺いました。解らないという答えでした。直江真澄が書いた資料が残されています。掘り下げて欲しいと思いました。

足柄地域の郷土史家の皆さんが治水の要衝にある神社の守り神が治水神禹王であることを再発見しました。全国に70ヶ所、禹に関わる遺跡や地名があることを明らかにしました。

秋田の男鹿半島でも同じ取り組みができると思い山本社長にエールを送りました。日本海側は中国や朝鮮半島とのつながり深いはずです。あっと驚く再発見を期待します。