岸田総理の大罪
自民党・保守本流、岸田派の宏池会が解散しました。
岸田総理と同じ広島を地元とする池田元総理が立ち上げました。
保守の良識を示す派閥とされてきました。
体現したのが大平元総理です。
クリスチャンで無類の読書好き、広く各界の意見を求めました。
徳と知性を感じさせました。
平和憲法の精神を踏まえた日米安保重視のハト派でした。
中国とも協調路線で日中国交正常化の一翼を担いました。
弱点はお公家集団とやゆされたように権力闘争に弱いところでした。
補ったのが田中角栄さん率いる田中軍団でした。
大平・田中連合で政局を仕切った訳です。
この連携はその後も続きました。
宮澤政権を支えたのは田中派の流れをくむ梶山静六さんでした。
国会対策など裏方の仕事を一手に引き受け政権を支えました。
最後の宏池会政権となった岸田政権は誕生の経緯が異なります。
政権誕生の決め手となったのは宏池会とは肌合いが異質の安倍派でした。
安倍派の源流はタカ派の福田派で田中派とは不倶戴天の関係です。
同舟異夢の危うさを秘めた関係といえます。
安倍元総理が凶弾に倒れ安倍派に政治資金スキャンダルが襲いました。
安倍派との関係に変化が出ました。
自由の身になった岸田総理は宏池会の解散に踏み切りました。
世論の批判をかわし政権延命のためです。
保守の良識派閥を消滅させ権力にしがみつくことはできません。
総裁選出馬辞退となり現在の混とん状態を招きました。
岸田総理の身勝手で保守本流・宏池会を雲散霧消させることに違和感を持ちます。
林官房長官が3日出馬会見し上川外務大臣も模索を続けてますので分裂状態です。
岸田総理の振る舞いは宏池会の良識を過去のものとし逃げるのと一緒です。
後世に悪名を残します。
岸田政権は内政はからきしでした。
最期の仕事は憲法改正に向け党内喚起でしたが大平元総理ら諸先輩は嘆いているはずです。
穏健保守の良識は風前の灯火となりました。
岸田総理の罪は万死に値すると思います。