政治家、親子2代
開成町の発展の礎は1960年代の都市計画にあります。
父の露木甚造が町長だった時に狭い町域を3分割した計画をまとめました。
大風呂敷を広げ“ほら甚”と呼ばれました。
父の死後14年後の1998年に町長に就任した私は父の“ほら”を具体化しようとしました。
開成駅周辺と南部地域一帯の開発です。
小田急電鉄の協力で完了しました。
父は“うそつき”でないことを実証しました。
肩の荷が下りました。
父の2代後に町長に就いたのは山神輝(あきら)町長です。
開成駅周辺の土地区画整理事業を合意へと導きました。
山神町長は3年で病に倒れました。
駅周辺の開発事業は未完成でした。
駅から延びる街路建設は今なお課題です。
現町長は山神さんの息子の裕さんです。
父の宿題を解決するのは息子の宿命です。
難事業ではありますが不退転の覚悟で前進させてほしいです。
2001年自民党をぶっ潰すと叫び小泉純一郎政権が誕生しました。
田中角栄流の地方へ恩恵をもたらす政治からの脱却を目指しました。
小泉さんを押し上げた原動力は田中さんの娘の真紀子さんでした。
娘は父のスタイルを否定する側に回りました。
小泉政権の5年間で田中流の分配政治は影をひそめました。
小さな政府を志向する政治を推し進めました。
自民党は総裁選挙をめぐりカオス状態となりました。
総裁選挙は石破茂さんが5度目の挑戦で総裁の座をつかみました。
父の二郎氏は内務官僚で建設事務次官から鳥取県知事、参院議員です。
経歴から田中流の政治の信奉者であったことは明らかです。
石破さんが地方重視の姿勢を示すルーツは父親にあると思います。
地方重視のDNAをどんな形で具体化するか力量が問われます。
小泉純一郎さんの息子の進次郎さんは決戦投票に残れませんでした。
早まったと思わざるを得ません。
進次郎総裁では自民党だけでなく日本が壊れると思われたのだと思います。
人事では花形ポストではなく雑巾がけから再起を期して欲しいです。