神奈川県山北町、眠る地域資源を活かし”消滅可能性都市”返上!

神奈川県でいちばんの可能性を持った町は山北町!。
そんな話で大盛り上がり。

28日の足柄の歴史再発見クラブの定例会でのひとこまでした。
地域資源の宝庫という点では完全に見方が一致しました。

山北町にある寺院、花蔵院に残る資料の整理をクラブがこの夏行いました。
分野ごとに封筒詰めして目録を作る地味な作業です。

作業の前に境内の庭から眼下を見下ろした時はっと気づくことがありました。
1707年の富士山の噴火後の酒匂川の大洪水後の修復工事のことです。

徳川幕府の命を受けて任に当たった田中休愚(丘隅)か拠点にしたのはこの寺でした。
酒匂川がはっきり見えます。

元川崎宿の名主だった田中もこんな光景を見ていたに違いありません。
山北町はもっとこの事実を世に知らしめたほうが良いです。

水源地域の山北町はその水を利用している大消費地の川崎市と交流を続けています。
田中はいわば川崎市長と言える存在でしたのでアピールする意義があります。

日本のセメント王の浅野総一郎関連の資料がありました。
山北町の山林地域に水力発電所を創設し電力を京浜工業地帯に送りました。

地域貢献として小学校建設のため多額の寄付をしていることを知りました。
山北町と近代日本の大経済人とのつながりの深さは興味深いです。

9月の山北町議会で川崎市との交流事業について質問がありました。
川崎市民と協働で山北町にふるさとの森を創ったらどうかという提案でした。

横浜市が行っている山梨県道志村との交流事業がお手本です。
交流をきっかけに産業の誘致に結び付ける可能性についても触れていました。

良いアイデアですが実行する強い意志を持たなければ進みません。
話題として議論しているならば政治ではありません。

山北町には豊かな自然と繁栄の歴史と文化が有り余るほどあります。
消滅可能性都市の現状が信じられません。

消滅可能性都市のレッテルは努力すればはがすことができます。
やる意思次第だと思います。

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