中国黄河の禹王廟(うおうおびょう)の再建を目指して
中国第2の大河、黄河の治水を果たしたとされる伝説の皇帝禹王(うおう)。
中国最初の王朝夏(か)の創始者と中国の歴史書は記してます。
酒匂川の治水の難所には文命碑と神社が建立されています。
文命は私の中学校の名前になってます。
文命が治水神となった禹王の別名と知った時は衝撃でした。
徳川幕府8代将軍の徳川吉宗の命で建てられたものでした。
足柄の歴史再発見クラブの初代会長の大脇良夫さんは禹王の故郷中国で調査を行いました。
『治水神禹王を訪ねる旅』の中で報告してます。
禹王が治水をしたとされる黄河の最大難所、山西省の禹門口を訪ねた時のことです。
河津市の水利局長を務めた方が禹王廟が日中戦争で日本軍の攻撃で破壊されたと証言しました。
日中関係の悪化で過去の歴史と向き合う姿勢が一段と弱まってます。
禹王のことを思い出し大脇さんと連絡を取りました。
1938年6月刊行の『大黄河』という書籍を持ってきてくれました。
禹王廟が鮮明に写った写真が掲載されてました。
1941年10月31日の大阪朝日新聞で禹門口付近の激闘が報じられていることがわかりました。
一面トップで禹王廟の写真が大きく写ってます。
11月4日の東京朝日新聞は禹王廟の陥落を報じてます。
この激闘で禹王廟は破壊されたと思われます。
大脇さんの話や当時の新聞記事から使命感が湧きおこりました。
中国人の崇拝の対象が破壊されたわけで再建する責務があると思います。
中国と安定的な関係を築きたいならば過去の歴史と向き合う姿勢が不可欠です。
反発するだけでは関係改善にはつながりません。
忌まわしい過去と向き合うのは勇気と覚悟が必要です。
暗い歴史を受け止めなければならないし中国に嫌悪感を持つ人たちから叩かれるからです。
日本人の良心と胆力が問われています。
歴史と向き合う具体の行動を起こす必要があります。
禹王廟の再建は象徴となります。
日中関係の見通しに危機感を持っている人に呼びかけます。