仏教講話、あの世とこの世
足柄地域の優れた住職から仏教の話をきこうという小さな会が発足しました。私も仲間に入れてもらいました。16日の晩に最初の集まりがありました。
(写真は、小田原市ホームページより 五百羅漢像)
小田原の五百羅漢で有名な玉宝寺で、安藤實英住職から1時間ほどお話を伺い30分ほど意見交換の機会を持つことができました。
安藤住職は、混沌の話をされました。中国にのっぺらぼうの混沌という皇帝がいました。かわいそうに思った隣国の皇帝たちが目、耳、鼻、口を開けて行きました。
人間に備わっている7つの穴が開いたところ、なんと混沌は死んでしまいました。7つの穴は人間のさまざまな認識も元となる器官です。
人間として備わっていなければならない機能を持つことが逆に死を招くという話です。意味がとてつもなく深いたとえ話だと思います。
この中国の故事は、人間の感覚を持つことが、本来の自由な世界から不自由な世界に迷い込むきっかけになっているのではないかと話されていました。
私は、すっと肚に落ちる感じでした。7つの穴は人間の欲望を生み出す元でもあります。人間の欲望に基づいた人為が全てを狂わし死を招いていると思うからです。
本来、人間は、自由自在で対立も何もない満ち足りた空間の中にただあるのだと思います。ところが生まれてきた途端に人間としての感覚を持ち自由を失っていきます。
安藤住職は、現代社会に必要なことはもう一度、絶対的な力とは何かをもう一度見つめ直すことが必要ではないかと話されていました。
絶対とは、混沌のたとえ話でいえば、のっぺりの世界を支配している力です。この世ではなくあの世の世界の話だと言えます。
仏教に限らず宗教の世界観は、あの世は決して暗黒ではなく、自由自在で喜びみ満ち溢れ死のない世界です。人間の本質は、ここにあると私は思います。
こういった立場に立つと死は怖れるものではなく人間が勝手に想像しているものということになります。死が怖くなくなれば随分と生き方が楽になります。
そうなれば逆に本来の生命力が溢れてくると思います。本当の意味で今が大切になります。人間の欲望、私利私欲ではなく今を充実させることが生きがいになります。
逆説的に聞こえるかもしれませんがこの世があの世と同じように自由自在で喜びにあふれた世界になって行くことになると私は思えてなりません。