「義を見てせざるは勇無きなり」再考
日本精神の神髄と思っていた言葉が中国由来と知って驚くことがあります。
中国の漢字文化は日本人の心に根付いています。
『古事記』の応神天皇(4世紀)の時代に朝鮮より漢字と『論語』が伝わると記されてます。
1600年の歴史があるのですから当然と言えば当然です。
しかし現代社会は欧米文化花盛りで中国文化は影薄いです。
日本のことばのルーツを忘れがちなのは問題です。
「信なくば立たず」という言葉の語源を調べるため『論語』をめくりました。
『論語』は儒教の創始者孔子の言行を弟子がまとめたものです。
2千年前の書物ですが今も古典としての輝きを失っていません。
ななめ読みをしているうちにはっとしました。
「義を見てせざるを勇なきなり」という言葉を見つけました。
恥ずかしながら日本武士道のことばではないと初めて気づきました。
新渡戸稲造が「武士道」を欧米に紹介した書物の第三章は「義」です。
冒頭に「義は武士の掟中最も厳格な教訓である。」と書かれてます。
この一文が頭に残っていて日本武士道の根本は「義」と思い込んでいました。
ところが孔子のことばということになると見方を変える必要があります。
武士道精神で「義」というと勇ましさや戦闘的な構えを感じざるを得ません。
しかし儒教の「義」と捉え直すと道徳的な正しさの色彩を帯びます。
勇気をふるう対象に違いが出ざるをえません。
片や恐れずに戦うことを奨励し片や道徳的に振る舞うことに勇を見い出します。
日本人に人気の「忠臣蔵」。
主君の無念を晴らすために身を捨てて敵を討った四十七士の物語は琴線に響きます。
孔子先生ならどう評価するか聞いてみたいです。
もっと道徳に基づいたやり方があると諭した可能性あります。
ウクライナと中東で戦乱が止みません。
止めるのが正義のはずですが勇者がいません。
戦う勇気ではなく平和をもたらす勇気をふるう時です。
新たな武士道精神を身に着けて世界にはばたく日本人が待ち望まれます。