古希一年前の所感
70歳のことを古希といいます。
古来稀(まれ)という意味です。
語源は中国唐の時代の杜甫の詩の一節です。
人生100年時代の現代日本にはもちろん当てはまりません。
6日に69歳となり古希まであと1年となりました。
まれではなくなったとはいえけじめの年であることには間違いありません。
私の父は古希の1年後の71歳でこの世を去りました。
町長を5期20年務め70歳で引退しました。
心臓に持病があった父は苦しむ間もなく最期を迎えました。
当時私はNHK姫路にいました。
父はこういった最期を覚悟していたように思います。
シベリア抑留で極寒の牢屋にいれられたので長生きはできないが口ぐせでした。
亡くなる年の正月に帰省した私が姫路に戻る時に父が玄関から出てじっと見守ってました。
私との最期の別れであることを知っているかのようでした。
人生いつ何時終るかわかりません。
生きているうちに為さねばならないことをやらないと後悔あとに立たずです。
私の母は自力歩行は困難になりましたが102歳で頭は今でもしっかりしてます。
私にとって母親の生きざまは目標で人生100年は身近です。
100歳は古希から30年ひと世代の時間を過ごすことになりますので短くありません。
終わり良ければ総て良し、人生の最終コーナーの過ごし方は決定的に大切です。
1日かつての政界の暴れん坊亀井静香さんの88歳のお祝い会があり参加しました。
亀井さん意気軒昂でした。
石破総理からお祝いのお花が届いていました。
期待をかけ続けていた国民民主党の玉木代表が脚光を浴びています。
引退したとはいえ政治家としての血が騒ぎ元気さがさらに増しているように見えました。
いくつになっても燃える何かがないといけないと受け止めました。
70歳からの30年の計画を立てる猶予期間はあと一年です。
笑ってこの世からおさらばするのが夢です。
世のため人のためにやりつくせばその夢に一歩近づきます。
しばし熟考します。