古今東西の文化のデパートの国、日本。

唐物の文化史――舶来品からみた日本 (岩波新書)

(写真は、アマゾンホームページより)

得意の風呂場の読書もタイムも活用して『唐物の文化史』ようやく一通り読み終わりました。岩波新書で著者は、東京学芸大学教授の河添房江さんです。

3月20日に出版されてすぐに買いましたのでひと月以上かかりました。理由は、見慣れない漢字が読めなくて途中で嫌になってしまい小休止ばかりしていたからです。

古い時代の装飾品や香り物の名前なんてとてもじゃないけれど読めません。最初はフリガナが符ってあるのですがすぐに忘れますので前に戻らざるを得ません。

それにしても日本人の舶来ものを好む性向は半端ではありません。古墳時代、奈良、平安の時代の資料を丹念に探りこれでもかと解説されています。

遣唐使の影響が大きかったことは言うまでもありません。中国全土を統一し西アジアへと交易の範囲を広げていた国です。最先端の文化が流入しました。

平安時代になると国風の文化が盛んになって中国の影響が弱まったと思っていました。11世紀の文学作品『源氏物語』の中でも中国からの舶来品は珍重されてます。

光源氏のモデルともいわれる藤原道長の舶来好きは天下一品です。権力と財力を誇示するためには中国伝来の衣服や装飾品は不可欠だったのだと思います。

質実剛健の鎌倉時代になってもこの傾向は変わりません。お茶の文化は中国からです。足利将軍はこれまた舶来もの付きです。信長、秀吉も一緒です。

ただし、中国一辺倒ではなく交易の範囲がポルトガル、スペインと広がっていきましたので中身は変わりました。秀吉の陣羽織はこれぞド派手ファッションというものです。

秀吉の朝鮮出兵の時に九州に集結した武士でポルトガルの衣装を何らかの形で身に着けていないものはいないという記録もあります。宣教師ルイスフロイスの日本史です。

テレビなどで甲冑の本当の姿を描いているか怪しく感じてしまいます。甲冑は地味なものという先入観に合致した映像を流しているのかもしれません。

江戸時代は鎖国の時代と言われます。長崎などを通じて中国やオランダから海外の文化はどんどん入っていました。鎖国というより管理貿易みたいなものです。

8代将軍徳川吉宗は海外の情報に貪欲でした。ヨーロッパの科学技術に深い関心を寄せて学ばせ幕府の政策に反映させていたということです。

吉宗は、ベトナムから象を輸入しました。この像は天皇陛下にも謁見しました。そのために象に位を与えて謁見を許したという笑い話みたいなエピソードもあります。

明治になって唐物は終わりの時を迎えました。一気に欧米の文化が流入しました。でも唐物から欧米へと好みが変化しただけで新しもの好きには変わりはないとも言えます。

読後感は、日本人は、舶来ものを受け入れるのが本当に好きだという感慨でした。ため息が出そうです。日本本来の文化って何だろうと頭を抱えてしまいます。

舶来ものを珍重していた方と思うといつの間にかいつの間にか元のものより優れた美術品や装飾品を作ってしまい逆に本国に輸出するまでしてしまいます。

唐物なのか和物なのか訳が分かりません。舶来ものを自分のものにして更に新しい舶来ものを追い求めるサイクルは永遠に続いているように見えます。

日本の場合は、どんな異質の文化であってもぱっと受け入れ、それ以前の文化と共存共栄は平気です。古今東西の文化のデパートと考えれば良いのかもしれません。