原発推進と天罰
「天災は忘れた頃にやってくる」という有名な警句があります。
この言葉からは天罰という発想が感じられてなりません。
この警句の元を作ったのは著名な地震学者の寺田寅彦です。
天罰などという非科学的な考え方があったとは思われません。
しかしこの警句を受け止める一般の国民は科学者ではありません。
悪事を働けばお天道様に罰を受けるという考え方を持っていても不思議ではありません。
関東大震災が起こった大正時代では一般的だったと思います。
1万円札の顔となった渋沢栄一はそうした論調の旗頭のひとりでした。
2011年3月11日午後2時46分の東日本大震災発生。
3日後に東京都知事だった石原慎太郎さんが刺激的な発言をしました。
「日本人のアイデンティティーは我欲。
この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」
石原発言の是非はともかく現代においても天罰論は生き残っていることがわかります。
災害のたびに密かに語られているはずです。
私は天罰論を一概に否定しません。
最善の対応をする責任のある者の不作為が被害をもたらした場合にあてはまります。
福島第一原発です。
東京電力と国に被災者が津波対策をめぐり賠償請求しています。
天罰の原因を作った機関の責任を問う構図に見えます。
現状は東電のみが賠償責任を負う判決です。
少なくとも国の道義的責任は断じて免れません。
しかし公表されたエネルギー基本計画原案は方向転換をにじませてます。
二酸化炭素排出抑制と電力不足に対応するため再び原発に注力し始めています。
再稼働に留まらず新設の思惑が見え隠れしています。
地震国日本でこれ以上原発に頼るのは日本の生存を脅かす行為です。
1月の能登半島地震でも志賀原発でひやりとした被害が発生したではないですか。
地球温暖化対策の美名のもとに原発増設を図れば再び天罰が下ると思えてなりません。
2度目は福島を越えて致命的なものとなる予感がします。