温故知新と瀬戸屋敷
(あしがり郷瀬戸屋敷 4月26日撮影)
昨日の神奈川大学の講義で、「温故知新」という考え方がどう政策に結びつき現実化されていったのかを瀬戸屋敷の再生をテーマに話しました。
中国儒教の古典中の古典、『論語』の一節、「温故知新、古きをたずねて新しきを知る」は、多くの方が、一度は聞いたことのあるメジャーな四字熟語です。
孔子が教師となるべき心得を述べたものです。古きをたずねる、古いものを丹念に調べことは、大変な労力が必要です。孔子は、それでは不十分だと言っています。
古きことから新しい知見を得ていかなければなりませんと諭されています。厳しいですよね。古い文献から易々と新しい発見があるものではありません。
私のように町長として町づくりに携わってものにとっても「温故知新」という言葉は、鋭くその姿勢を根本から問い直す言葉でした。
古いことから新たな知見を発見して更にはそれを現実にしなくては町づくりの意味がありません。学者ではないので学術として発表するだけでは意味を成しません。
300年続いたかやぶき屋根の古民家瀬戸屋敷の再生は、「温故知新」の哲学がそっくりそのまま反映された町づくりの芸術作品だと思っています。
瀬戸屋敷は神奈川県を代表する上層の農家の屋敷です。名主屋敷です。歴史からこの屋敷が開成町が最も苦難の時代の歴史を表すものだということを再認識しました。
富士山の噴火の砂で田畑が破壊されしかも20年近い洪水の歴史を知っている建物です。これを蘇らすことは開成町の一番苦しい時代を忘れないという決意表明でもあります。
瀬戸屋敷には新たな役割もあります。大都市部の方々と農村地域の方々とが互いに交流し合ってお互い理解しあうための拠点施設です。
300年前に度重なる洪水に悩まされた酒匂川、その水は、横浜や川崎といった大都市部に送られています。大都市部の住民の大半はこの事実を知りません。
大都市部と水源地域はもっと交流を深めてお互いが支えあっているということを理解する必要があります。瀬戸屋敷は、交流のための一つのシンボルとなります。
瀬戸屋敷は、古いものを単純に復元したのではありません。歴史をたどることを通じて瀬戸屋敷再生の意義を新たに見つけ出しました。
そして大都市と水源地域の交流という現代に欠けている取り組みを活発にさせる装置としての機能も与えました。来年再生して10年です。もっと活かす必要があります。