再び禹王廟再建を問う

人生には思わぬ出会いがあります。
それが神様である場合もあります。

中国の治水神禹王との遭遇はまさにそうしたケースでした。
禹王について無知であった私を目覚めさせてくれたのは郷土史研究でした。

足柄の歴史再発見クラブの皆さんには感謝です。
禹王を理解する手引きをしてくれました。

きっかけは1707年の富士山の宝永大爆発のあとの江戸幕府による治水の探求でした。
1726年に工事を完了した後文命社を建てました。

私は文命中学校の出身なのでその由来を知り驚がくしました。
中国の治水神で中国最初の王朝の創始者だと教えてもらったからです。

文命社が文命堤となり文命用水となり文命中学校へとつながったのです。
江戸時代は中国儒教への尊敬の念が強く中国の治水神を祀ったとの説も知りました。

目からうろこでした。
歴史再発見となりました。

驚きは続きます。
日本全国各地に禹王遺跡は残っておりその数180か所にのぼります。

2011年、12年と足柄の歴史再発見クラブの有志が中国に調査に訪れました。
団長の大脇良夫さんは日本人の知らない歴史を突きつけられました。

中国山西省の治水の難所禹門口を訪問した時のことです。
案内役の中国人が禹を祀る廟を日本軍が破壊したというのです。

現地の利水事務所の所長を務められた方のまなざしは厳しかったとのことです。
戦前に発刊された日本の書籍に禹王廟の写真が写っていることもわかりました。

禹王は治水の神であるだけでなく中華民族の栄光の源でもあります。
中国人の誇りを傷つけたことは間違いありません。

9月23日のブログで問題提起しましたが再び述べます。
このまま放置していては日本人の道義が疑われます。

政府に頼るのではなく民間主導で事を進めるのが理想です。
中国人民の心の傷を日本の民間人の力で癒すのです。

日中関係が険しい時代ですので容易ではありません。
やり遂げることができれば日本が積んだ”業(ごう)”がひとつ除かれます。