非武装中立路線は果たして空想論なのか。

陸自の高射特科連隊が最新の防空システムを米軍に披露し実演しました

(写真は、在日米海兵隊ホームページより)

5月3日、憲法記念日は、私たち夫婦の結婚記念日です。33回目です。このところ大きな選挙に3連敗して忍耐の時期ですが妻の協力で何とかしのいでます。

一方、憲法の方は、67回目です。安倍政権の復活により屋台骨が揺らいでいます。憲法改正への欲望を内に秘めながら解釈によって事実上の憲法改正への動きが顕著です。

日本国憲法の真骨頂は、何といっても絶対的な平和主義です。戦争しない、武力を持たないと言い切っているのですから、絶対的という表現が相応しいです。

憲法を素直に読めば自衛権も認めていません。丸腰、武装解除です。正義と公正を信頼して武器を持たずにやっていくという宣言以外の何物でもありません。

憲法が制定された以降の国際軍事情勢の変化で自衛権までも否定していないので自衛隊は認められるなどと憲法解釈がなされてきました。

最後の最後まで残ったのが集団的自衛権だと言えます。同盟国が攻撃されたら自国が攻撃されたと見なして応戦できるかどうかです。

絶対的な平和主義からスタートした日本国憲法の生い立ちから考えれば、集団的自衛権を解釈で認めようと考えること自体が狂気の沙汰です。

憲法の根本を変えたのと一緒です。アメリカから言われたからなのか、それとも自発的に考えたのかわかりませんが、本来の在り方とかけ離れた議論がまかり通っています。

中国や北朝鮮の脅威があるから憲法解釈を変更して対処しようというのは便宜主義以外の何物でもありません。ルールなんてないのと一緒です。

どうしても集団的自衛権を行使したいのならば堂々と憲法改正に踏み込めば良いのではないでしょうか。全く姑息です。安倍総理も本心ではそう思っていると思います。

私は、今の時代必要なのは、憲法の絶対平和主義の原点に返ることだと思います。絶対平和主義の立場で平和が維持できるという理想を論理的に示すことです。

積極的な平和主義という不可思議な言葉が流通し始めました。一皮むけば軍事力強化路線で対中国、北朝鮮封じ込め政策以外の何物でもありません。

こうしなければ日本の平和が守れないと言い張っているわけです。その一環として集団的自衛権の行使の問題が覆い被さっています。

この論理展開の対案を示すことにリベラル派の学者たちは知恵を絞りませんと積極的平和論者たちは無人の荒野を行くのと同じ状況になってしまいます。

怖れることなく原点に立ち返った論理を内外に示す必要があります。私は非武装中立路線を空想論として退けるのではなく復権させる必要があると思います。

仮想敵を見つけて武力で守ることが平和をもたらすのか、それとも戦争に備えるという美名のもとで戦争を準備するのかは極めて微妙な問題です。

積極的平和主義とは聞こえは良いけれども平和を守れるかどうかの根拠は一つの見方に過ぎません。そんな不確かな論理に身を委ねていれば安全と考えるの思い込みです。

中立地帯をじわじわと広げる丸腰路線の方が近隣との緊張関係を拡大せず逆に平和を守れるかもしれません。ガンジーの非暴力、非服従路線の応用です。

憲法前文にある通り「平和を愛する諸国民の公正と正義を信頼して」、国際的案合意の下で非武装中立地帯を設定していくのは平和を守る有力な手段だと思います。

まずは沖縄を国際的な合意の下で非武装中立地帯にする路線を選択するのはどうでしょうか。もちろん非核もです。大いに論じる必要があると思えてなりません。