一昭和人の立派な生涯

昨年11月足柄の歴史再発見クラブの元会長佐久間俊治さんが逝去されました。
90歳でした。

小田原の郷土史愛好家らの会誌「小田原史談」、創刊70年の伝統があります。
1992年1月号に載った佐久間さんの文章を目にしました。

題名は「一明治人の座右の銘」でした。
東京永田町の旧総理大臣官邸を設計した下元連(しももとむらじ)さんにまつわる話でした。

下元さんは1980年代の後半に95歳で亡くなられています。
無くなる一年前のエピソードに驚きます。

珍しく雪が降り積もった日の朝の出来事です。
下元さんは東京・神田の研究会に出かける際に坂道で転び腰を強く打ちました。

普通ならば自宅に戻り休むところです。
下元さんは這い上がり神田まで出かけようとしました。

東海道線が品川までしか通じていないため帰宅しました。
この執念には息子さんもあ然としていたようです。

下元さんは1982年に随筆集を自費出版してます。
その中に「瀬戸内海」という題名の一文がありました。

旧制中学の頃の思い出です。
瀬戸内海を船に乗って1人旅に出た時に得た教訓について書いてます。

瀬戸内には大小さまざまな島が点在し船はその合間を縫って進みます。
ひとつ通り抜けたと思うとまた次の島が迫ってきます。

通りぬけるのは難しいと思っているとにわかに一条の水路が見えてきます。
下元さんはこうした船の航路を人生に見立てました。

勇気さえあれば辛抱さえすれば人生に行き詰まりはないと思ったと書いています。
下元さんにとって唯一の座右の銘だったということです。

佐久間さんは下元さんの95歳の生涯について最後に次のように述べてます。
「堂々たる男子の一生」であった。

この文章をしたためた佐久間さんも天上へと旅立たれました。
今度は私が佐久間さんの生涯についてひとこと述べさせていただきます。

仲間たちを思い和を常に大切にする真の人格者でした。
明治人の下元さんとはまた違った気骨を持つ昭和人でした。