開成町のプロジェクトX、富士フイルム先進研究所の誘致成功の物語
(写真は富士フイルム先進研究所ホームページより)
この企業誘致はただ待っていたら企業がやってきたという話とは全く違います。綱渡りの連続でテレビドラマになるような物語でした。
当時の開成町は、子供の数が急ピッチで増えて近未来に新設の小学校を建てることが構想されてました。将来の財源が厳しいことが自明でした。
また、小田急線開成駅から西に広がる27ヘクタールの土地開発事業の成否がかかっているのが企業が進出する予定の土地をきちんと埋められるかどうかでした。
私は、最先端企業の研究開発機関の誘致の一点に絞りました。開成町は土地があまりに狭く広大な面積を必要とする製造業の誘致は困難でした。
研究所ならば面積はそれほど必要としません。一方、研究所に勤務する研究員の数は多いです。法人税は従業員数によって割り振られますので有利です。
富士フィルムの本社工場が隣接する南足柄市にありました。当時の富士フイルムはデジタル革命の荒波に洗われようとしており写真フィルムに代わる製品を求めていました。
研究開発に投資するはずだと確信しました。いきなりトップとの直談判しました。富士フイルムはトップが絶大な権力を持っていますので他にあたっても意味がありません。
まずは大西会長、続いて権力を掌握した古森社長(現在は会長)にアタックしました。タイプは違いますがお二人とも強者でしたので厳しかったです。
大西会長からは企業予定地の富士フイルムへの売却代金を低くするよう求められました。当時の価格の60パーセントに抑えて価格を提示し了解を得ました。
古森社長からはスピードを求められました。めちゃくちゃな要求でした。普通なら3年近くかかる様々な許認可の諸手続きを迅速に行い1年でできないかという話でした。
神奈川県が関わる事柄です。煩雑な調整が色々とあるのが時間のかかる一番の要因です。当時の松沢知事の全面的な協力がありました。助かりました。
松沢知事は最先端企業の研究開発機関を誘致するために「インベスト神奈川」という制度を創設し富士フイルムが第一号となりました。70億円近い助成金が出ました。
富士フイルムの進出が正式決定したのが2004年12月、研究所が開所したのが2006年4月でした。富士フイルムの投資額は460億円でした。
開成町のチームが頑張りました。現在の小沢副町長が当時のリーダーでした。土地の集約は並大抵の仕事ではありません。若手の職員を見事にひっぱりました。
土日の出勤も当たり前です。地権者をつかまえるのは休みの日でないとゆっくり時間が取れません。このチームの支えがなければ誘致は実現しませんでした。
今思い返してみてよくぞやり切れたと不思議です。厳しい局面もありました。職員にも大変なプレッシャーを与えてしまいました。熱い思いがあったからです。
トップがカギを握っています。時代の流れをとらえる眼、トップ自らが動く行動力。トップが先を見て動いて初めて歯車が回ります。
そしてトップを支える行動力溢れるスタッフが何より大切です。この両者が相まって神奈川県で一番小さな町の最先端企業誘致は成功しました。
全ておぜん立てが整って初めて動くというのでは遅すぎます。トップがリスクをとって動けば活路が開けることを若い学生たちに伝えました。