中国・禹王廟(うおうびょう)消滅の謎を追う


中国山西省の黄河の最大の難所、禹門口についてはブログで取り上げてきました。
岸壁で威容を誇っていた禹王廟(うおうびょう)についてもです。

おさらいですが禹王は中国初代王朝の夏(か)の創始者とされる伝説の皇帝です。
黄河の治水に多大なる功績があり治水神となりました。

足柄の歴史再発見クラブのメンバーが2011年から13年まで3回禹門口を訪れました。
禹王廟は日本軍により破壊されたと説明を受けました。

朝日新聞の1941年10月末から11月初めの報道で戦闘の模様が掲載されていました。
日本軍と当時中国を統治していた蒋介石軍との間の戦闘でした。

山西省一帯は蒋介石軍と軍閥の閻錫山(えんしゃくざん)の支配下でした。
日本軍は蒋介石軍と閻軍と戦っていたわけです。

朝日新聞は禹王廟周辺を日本軍が平定したと報じています。
禹王廟の壮麗な写真が掲載されてますのでこの時点では破壊されてません。

防衛省戦史資料室に関連資料があると聞きました。
防衛研究所に出向いて調査しました。

戦闘に加わったふたりの軍人(階級は少尉)の書面による調査記録がありました。
朝日新聞の報道を裏付ける内容で日本軍は禹王廟を陣地としてました。

戦闘から1年余り経過した時に撮影した写真もありました。
屋根や壁に損壊のあとはありますが建物は残ってました。

東京・新宿の平和記念展示資料館デジタル資料に1945年3月から翌年3月までの記録がありました。
禹門口に派遣された兵隊の手記で戦闘はなくて平穏な状況が描かれてました。

日本軍が破壊したと結論付けることができないことが判明しました。
日本の教科書にも存在が記述されていた禹王廟は現存していない事実だけが残りました。

日本の敗戦後山西省は毛沢東の中国共産党軍と蒋介石軍の戦闘の場です。
国共内戦で破壊された可能性もないとはいえません。

日本軍の撤退後放置され廃墟となり何らかの理由で解体・撤去したのかもしれません。
探求継続です。

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