70歳を迎えた開成町の30年後

昨日は開成町の70歳の誕生日、記念式典がありました。
私は町が誕生した年1955年の生まれです。

私の家は通称「上(かみ)」と呼ばれてました。
牛島という自治会でいちばん北側の水田の中の一軒家だったからです。

初夏のホタルは日常の風景でした。
田んぼの周りを走ればヤマカガシと鉢合わせでした。


山神町長が開成町が誕生した際の神奈川県の報告書を紹介してました。
田舎にしては都市的機能を持っていると記述されていたようです。

その後の開成町の発展を暗示してます。
水田が辺り一面広がっている中で商店街など都市的な機能と共存していたのです。

70年が過ぎ住み続けたい街ランキング全国20位とのことです。
人口が増加している以上に奇跡です。

東日本でいちばん面積が小さい町の発展の物語として自慢して良いと思います。
景観を守り住みやすい住宅地をつくり企業の誘致も図ることは可能なのです。

都市計画で基盤整備を先行して人口を増やし今もその流れを維持してます。
開成町のまちづくりは少子高齢化・人口減少問題へのひとつの処方せんです。

問題はこれからです。
30年後2055年の開成町を頭の中で描いた時、どんな姿を思い浮かべますか。

言い方を変えればどんな姿を残したいですかとなります。
あじさいの咲き誇る田園空間とかやぶき屋根の古民家を挙げる方が多いと思います。

この姿を30年後に残すことが開成町の最大の課題だといって良いと思います。
今から手を打ち続けないと残すことはできません。

農業を営む人がいなければ水田や畑は耕作放棄地になります。
田園空間の魅力が薄れれば古民家の価値も下がります。

持続するために何が必要か課題を洗い出しできるところから実践が必要です。
まずは農業後継者問題への対応です。

人を呼び込む仕掛けも必要です。
ホタルが飛びかう里づくりといった付加価値を上げる戦略が求められます。

30年後私は100歳です。
あじさいの里を自力で散歩したいです。