出でよ!、”始末に困る人”
知っているつもりでいたことが恥ずかしくなることがあります。
先日NHKBSの「英雄たちの選択」を視てそんな気分を味わいました。
有名な江戸城無血開城がテーマでした。
西郷隆盛と勝海舟によるふたりの談判の姿がすぐに頭に浮かびます。
史実は違います。
もうひとり重要人物が会談に同席していました。
剣の達人でもあった江戸幕府に使える武士の山岡鉄舟です。
名前は知っていましたが会談に同席は番組で初めて知りました。
鉄舟は2人の会談のおぜん立てをしました。
命の危険を省みることなく決死の行動でした。
私にとって西郷隆盛の『遺訓』は座右の書の筆頭格です。
特に次の文面が気にってます。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。
この始末に困る人ならでは、困難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
西郷自身の身を処す哲学だと思い込んでいました。
しかしこの言葉は鉄舟を評した言葉でした。
たまげました。
自分の知識がいかに薄っぺらだったかを知りがく然としました。
そして山岡鉄舟なる人物の偉大さを改めて心に刻みました。
江戸を焼け野原にしないため私利私欲を超越し事に当たった勇気に圧倒されます。
さらにその凄味が増すのは自慢しないことです。
偉大な功績をひけらかすことなく生涯を閉じました。
現在の日本の政治状況を見るにつけさみしい気持ちにならざるを得ません。
”始末に困る人”が見当たらないからです。
目立ちたいひとだらけです。
政治家から私利私欲、党利党略を超越した捨て身の凄味を感じ取ることはまずありません。
150年前はペリー艦隊の来航をきっかけに動乱の時代に突入しました。
鉄舟や西郷、海舟ら”始末に困る”サムライたちの活躍で時代を一歩前に進めました。
現代はトランプ関税に揺さぶられ危機に瀕しています。
幕末維新の時代と似通っています。
我こそはと自負する政治家たちは今こそ踊る時です。
”始末に困る”人たちの登場を待ちます。