「60歳は、耳順(じじゅん)」、その本当の意味を考える。
昨日、私が卒園した保育園の60周年祈念式典がありました。私立の酒田保育園です。1954年6月に園舎ができたと書かれていました。
酒田という名前は、開成町ができる前の村の名前をとってます。観音堂があってその境内に木造二階建ての園舎が建てられていました。
懐かしいです。園舎の西端が避難のための滑り台になっていて格好の遊び場でした。木造だったのがより印象を強くしているように思います。
酒田保育園が60周年を迎えたことから中国の儒教の経典である論語の中の孔子の言葉を思い出しました。論語の中で孔子は、60歳で「耳順」と語ってます。
「耳順」とは「じじゅん」と読み、「耳したがう」と読み下します。人の声を自然によく聴けるようになったという意味であると言われています。
私は表面的な理解ではないかと思ってます。孔子ほどの聖人です。単に人の意見を聞けるようになった程度のレベルの人物ではないと思います。
単に人の意見ではなくその背後にある天の意思といいますか、もっとわかりやすく言えば神の声を聞き取ることができるようになったという意味だと思います。
孔子は、50歳で天命を知ったと回想しています。天から授けられた使命をしかと受け止めて行動し60歳で神の声に耳したがうようになった訳です。
こう考えると人も組織も60年という節目は、とてつもなく大切です。60歳になったら神の声を聞き取ることができるようにと言われているに等しい訳です。
神が求めているものは判っています。平和、正義、わかちあい、誠実、正直、慈悲…。人間が全くついて行っていませんのでこの世はめちゃくちゃです。
60年の節目を迎えたら一度立ち止まって神の意志に沿った行動をしているかどうか再点検が必要です。間違っていたら修正しできることを実践していけば良いと思います。
自然を大切にする。緑を再生する。子供たちと高齢者の憩いの場を創る。もっと大きく行けば原発から卒業する。戦争を止める。世界の貧富の格差を是正する。
やることは限りなくあります。私たちは神にはなれませんが近づくことは可能ですし、そうすることが人生だと思います。目覚めた人が増えないとこの世界は破滅します。