AIと人間の優位性の競争のむなしさについて

AI=人工知能に仕事を奪われる。
そんな恐怖感を持つ人がふえているのではないかと思います。

それほどAIの進化はとどまるところを知りません。
対話型AIは身近な存在となっています。

この傾向が強まるとAIは人を助ける存在ではなく人に指図する存在になります。
どっちが支配者かという悩みが生じます。

5月25日の日経新聞文化欄に仏教学者の佐々木閑(しずか)さんが論考を書いてました。
AIの進化に対し人間が置かれた岐路を書いています。。

人間はふたつの立場に分かれます。
AIより劣ると考えるかAIより優れていると考えるかです。

前者は劣等感の中でAIとどう折り合いをつけるかに頭を悩ませます。
後者はAIにできないことをひたすら追い求めようとします。

佐々木さんの結論はAIは人間を映し出す鏡となっているというものです。
AIを通しておのれの姿を見つめ直す時代に来たのだと言います。

この結論は人間をより悩みの渦に放り込みます。
AIより劣っているのか優れているのかという絶対矛盾にはまってしまうからです。

そもそも人間が優れていると考える方がどうかしてます。
優れているのならば気候変動や戦争や飢餓や貧困を引き起こすはずはありません。

仮に起こったとしても英知を集め解決への道を探り実践します。
現実はそうなってません。

人間はひどく愚かな側面を持ち合わせているということです。
AIの進化はこの愚かさを緩和してくれるかもしれません。

人間とAIとどっちが優れているなど下手な考えは止めた方が良いです。
人類が直面する危機を解決するためにAIを活用すればよいだけです。

問題は活用のしかたを誤ることです。
既に戦場はAIなしでは成立しません。

人類を破滅から救うのか破滅を助長するのかどちらにAIを活用するかです。
これは人間の選択です。

AIと人間どちらが優れているのかという問いは虚しいです。
人類を破滅から救うためにAIをどう使うかが究極の課題です。