考えるのを止めるという生き方

私が大切にしている中国の格言に次の言葉があります。
「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず」。

天の網は広大で粗いように見えるがもらすことはないという意味です。
悪事はばれるという戒めに使われます。

冒頭の言葉は中国の古典『老子』の第73章にあります。
前段があります。

天の道が自ずと良き方向に導くことが書かれています。
その前提の下で「天網云々」と続いています。

天の計らいは良い方向に導いてくれるということです。
本当に言いたいのはお天道様に全幅の信頼を置いたらどうかということです。

悪事をしたらばれるレベルの話ではなく深い意味があることがわかります。
天に全幅の信頼を置く態度には絶大なメリットがあります。

取り越し苦労が無くなりますので精神が安定します。
欲しいなりたいといった欲が消え明鏡止水の心境に近づきます。

これで全て問題解決かというとここからが難問です。
ただ寝ころんで待っていれば良いのかという疑問が生じます。

まじめな人は人事を尽くして天命を待たなければいけないと焦ります。
ここに落とし穴があります。

あれこれ動き回ることで再び欲望の世界に絡み取られるからです。
ではどうすればよいでしょう。

絶対の存在である天の声を聴き分けるよりほかありません。
聴き分けるには欲の塊である自分の頭で考えないということになります。

ふと閃いたことや全く予測していなかったことが手掛かりとなります。
天意は人知を超えているからです。

データを集めあれこれ考え抜いて結論を導こうとする科学的な態度とはま逆です。
論理的に考えて予測しようという現代科学のあり方を越えます。

予想外の出来事から天意をくみ取る態度が必要です。
思わぬ閃きもおろそかにできません。

徹底できれば人生が一変する気がします。
天意に沿って実践すれば自ずと道が開けるからです。

考えることを止める。
悩み深き現代社会を生き抜く大逆転の発想のように思えてなりません。