安倍総理に諫言申し上げる人はいないのでしょうか。
昨日は、月に一度の人生勉強会でした。86歳の杉田廣善さんのお話しに耳を傾けました。なぜか心が落ち着きます。この日が来るのが楽しみです。
昨日も色々と教えてもらいました。「話す」と「申す」は全く意味が違うという話がありました。字の形を良く見て欲しいと言われました。
「話す」は、言べんに舌です。こちらは普通にしゃべる。頭で考えて話すという人間の普通の行動です。「申す」は一本線が突き抜けています。
単に頭で考えて発した言葉ではなく肚の底から魂からこみ上げてくる言葉を発することが「申す」だと解説されました。なるほどと思いました。
「申す」は、良く「上げる」とくっついて「申し上げる」という言葉になります。一般的には目上の人に話をするための表現です。
目上の人に話をする時は理屈をこねて話すのではなく本当に魂レベルで感じたことを心の底から本気で話すことが大切だということにつながります。
(写真は、NHK大河ドラマ 軍師官兵衛 ヤフー画像より)
NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」を毎週見てます。戦国時代、殿に諫言して怒りに触れたら気に入られなければ首をはねられます。まさに命がけです。
戦国時代は、「申し上げる」という言葉が生きていた時代です。表面だけの理屈をこねくり回した言葉は役に立ちません。対話においても真剣勝負でした。
自分を守っていては「申し上げる」ことはできません。身を捨てて魂と一体になって訴えなければ相手の心を動かすことは不可能です。
世界中どこもかしこも「申し上げる」ことができる捨て身の軍師が求められています。トップはイケイケどんどん、平和とは逆方向に舵を切っています。
ここで捨て身で待ったをかけて諫言できるかどうかの、「申し上げる」ことができる人材がいなければ平和から離れていく危険性が強まります。
わが日本でも安倍総理大臣の前のめりの姿勢に対し「申し上げる」ことができる人はいないのでしょうか。いなければいつか来た道を歩みかねません。