「あじさいの里」を守る
開成町を象徴する地域資源は町北部の田園地帯に広がるあじさいの里です。
1978年から町北部の水田地帯を整える「ほ場整備事業」が始まり1983年に完成しました。
事業が始まる前に町の花に制定したあじさいを水田脇に一斉に植栽しました。
地域資源としてのあじさいの里の誕生です。
1983年2月まで町長を務めていた父の最期の仕事でした。
父は翌年急死しました。
今年度からスタートした町の総合計画で土地利用方針が変わりました。
町北部を「ふるさとゾーン」とするなど町域を3区分してきたこれまでの基本方針が消えました。
あじさいの里を創り出しそれを守ってきたまちづくり哲学を冒とくしたと受け止めました。
町北部の美しい田園地帯が虫食い状態となる危険性が増したと見てます。
あじさいが育ってきた1988年6月に第1回あじさい祭りが開催されました。
町長は現在の山神裕町長の父親で2年後の正月在任中に急死されました。
タウンニュースによると38回目の今年のあじさい祭りは盛況でした。
観光客数22万3千人で過去最高と報じられました。
”過去最高”という表現が気になりました。
数え方の違いもあるでしょうが私が町長を務めた2000年代、30万人の大台もありました。
祭りが終わった後ボランティアによる枯れ花摘みが毎年行われます。
私の町長時代に大規模な取り組みに発展しました。
今年の参加人数が300人との報道を目にして驚きました。
以前は町内外から450人から500人集まっていましたのでずいぶん減りました。
あじさいの里から離れたところに別のあじさいの里があります。
「岡野あじさいの里」と名付けられ私はボランティアで管理のお手伝いをしてます。
5日行われた枯れ花摘みの時ボランティアは私たちのグループ6人だけでした。
寂しいです。
あじさいの里に危機が忍び寄っています。
先人の思いが詰まっているあじさいの里であり、あじさい祭りですので堅持発展が使命です。