報徳運動の戦時中の歴史を知る
13日小田原市栢山の二宮尊徳の生家近くに建つ尊徳記念館で講演会がありました。
「第二次世界大戦下~終戦直後の報徳運動」がテーマでした。
戦前二宮尊徳の教えを広げる報徳運動は戦意高揚に奉仕しました。
戦後はGHQ=連合国軍最高司令部に評価され国づくりの指針に変身しました。
両極端に振れたことが気になります。
そんな問題関心から講演を聴きに行きました。
講師は尊徳記念館の学芸員でした。
戦意高揚意識を国民に伝える手段だった報徳運動について解説がありました。
日米開戦が始まる直前の1941年6月に「神奈川県尊徳会」が設立されました。
委員長は神奈川県知事でした。
1937年7月に始まった日中戦争を遂行するため挙国一致を促しました。
団体や組織がひとつにまとまり国家に尽くす大政翼賛運動に協力する運動のひとつでした。
1945年8月15日終戦となった後報徳運動は幸運に巡り合いました。
GHQのインボデン新聞課長が二宮尊徳を民主主義者として高く評価したのです。
静岡新聞による報徳運動の連載が目に留まったのが端緒でした。
報徳運動はインボデン課長のお墨付きを得ました。
戦意高揚によりGNQの弾圧対象となっても決しておかしくないのに立場が逆転しました。
戦後の復興運動の原動力として逆に期待されました。
価値観の大逆転の時代を報徳運動は奇跡のように生き延びました。
この経緯は戦争へと駆り立てた歴史を直視する姿勢が弱まることにつながると思いました。
報徳運動の指導者は報徳思想の重点を意図的に変えたと思います。
「富国安民」を目指し実践することに重きがあるのに国家への奉仕を過度に重視しました。
国家主義一色の時代の流れに迎合した側面は否定できません。
報徳運動の戦時中の歴史はもう一度見つめ直す必要があると思います。
今年戦後80年、国家主義の傾向が垣間見える時代風潮です。
報徳運動の指導者には歴史を再確認し同じ過ちを起こさない努力を期待します。