優れたリーダーを選ぶための首長論が必要な時代
教育委員会制度改革法が成立し首長が教育分野にも大きな影響力を行使できることになります。首長の責任はますまず重くなる一方です。
昨日の神奈川大学の政策過程論で、どんな首長を選ぶかによって結果が大きく異なる時代を迎えているので首長論を大いに論じる必要があると講義しました。
首長と言ってもスタッフのシナリオに沿って振る舞うだけだという思い込みが一般的にまだ残っています。こうしたスタイルは過去のものにならざるを得ません。
教育委員会制度改革に象徴されるように首長の権限の増大しています。地方分権改革の流れで各地域で独自性を発揮することも要請されています。
首長のスタイルで大きく地域の政治が変化する時代がやってきました。橋下市長は、大胆不敵かもしれませんが、突進のたびにあつれきを生みます。
石橋を叩いても渡らないタイプを選べば失敗のリスクは小さいかもしれませんが全体の流れを見損なって地域の活力を失ってしまうかもしれません。
首長の基本的な政治スタイルを有権者もきちんと認識し一票を投じる必要があると思います。政策は同じように語れても政治スタイルによって手法に大差が出ます。
福祉を充実させるといってもどんな手法で進めて行くかは大きな違いです。その首長の持っている政治スタイルによるところが大きいです。
首長論が必要です。あるべき首長の姿の基本を示し首長を選ぶ際の指標とすることができます。これまでは政策の細部に重きが置かれ過ぎました。
昨日の講義で、あるべき首長論として2つの重要ポイントを挙げました。一つは、結果責任を取る覚悟を持っている人物か否かです。
首長は、結果責任です。自分は知らなかったとか部下がやったことだとか言い訳は本来通用しません。この覚悟を持っているタイプかどうか重要です。
もう一つは目先の利益に目がくらむタイプかどうかです。環境悪化や人口減少時代を乗り切るためには長期展望に立って政治を進めなければなりません。
手品は通用しません。自分が首長の時代は仮に成果が上がらなくても将来の繁栄のために我慢ができるタイプかどうかどうかは決定的に重要です。
この他、財政難の時代の首長です。厳しい倫理観が求められます。情報公開に臆病なタイプの首長は、時代の流れを捉え損ないます。
正しい眼で優れた首長を選ぶことが何より大切な時代になりました。そのためにはあるべき首長論議を大いに盛んにすることが大切だと思います。