二度と戦争で死ぬために生まれて来た世代を作ってはなりません。
昨日、菩提寺の近くで用事がありました。何となくお参りがしたくなりました。お線香は用意してなかったので水を注ぎ手を合わせました。
お墓のほかに慰霊塔にも水を注ぎ手を合わせました。慰霊塔は、元帝国陸軍の軍人だった父が1984年に死去した後、建てたものです。
父は、中国の旧満州でソビエトとの国境を守る大隊長でした。1945年8月9日条約を一方的に破棄して侵攻してきたソビエト軍を迎え撃ちました。
装備の差は圧倒的で捨て身で侵攻を阻止するだけでした。ソビエト軍が満州に入ってくるのを少しでも食い止めて時間を稼ぐための任務でした。
激しい戦闘の有様は、伊藤正徳『帝国陸軍の最期』でも書かれています。父の部下であった多くの若者がこの戦闘で戦死しました。
父は、ソビエト軍に捕らえられて4年半シベリア抑留となりました。私が小さい頃から耳にたこができるぐらいこの戦闘のことを話していました。
父は多くの若者を戦死させてしまったことを大変に悔いてました。「戦争で死ぬために生まれて来たような者たちだ。」と言っていました。
父の死後、父の思いを形にしようと慰霊塔を建てました。菩提寺に行く時は、必ず慰霊塔にもお参りし「平和が続くように」と手を合わせます。
戦争はとてつもない悲惨さをもたらします。父は、指揮した戦闘で戦死した若者のご家族の心の痛みを自らのものとして感じていたのだと思います。
私の息子も三十そこそこです。つい最近孫ができました。万が一息子や孫が戦争に行くことになり戦死などということになったら胸が張り裂けることでしょう。
戦争につながるかもしれない政策については徹底して慎重な姿勢をとろうと日本はかつて誓ったはずです。その背後には多大な犠牲があったことは言うまでもありません。
昨今の安倍総理や自民党の動向を見ていると、敗戦で経験した痛切な痛みを忘れてしまい、軍事で国を守るという高揚感に安易に浸っているように思います。
実際に戦争の現場に立ち会ったことのない人たちです。積極的平和主義などと言葉を弄びがちです。危険極まりないことです。戦争の悲惨な現実を直視して欲しいです。