首長の二大条件は、私利私欲がないことと結果責任を受け入れる覚悟。
今週水曜日の神奈川大学の講義で首長として備える資質について講義をしました。参考文献として内村鑑三の『代表的に日本人』を挙げました。
日本を代表するキリスト教徒として生きた内村鑑三が選んだ日本を代表する日本人5人、政治家として選ばれたのは明治維新の立役者、西郷隆盛でした。
この本の中で天を敬い人を愛すという高い理想を掲げる一方でその生活ぶりが質素そのものであったことが紹介されています。
西郷の信条をわかりやすく説明したのが『西郷南洲遺訓』です。西郷を慕う者たちがまとめたもので西郷の伝記と言ってよい内容です。
冒頭に書かれているのが「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些かとも私を挟みては済まぬもの也。」という西郷の言葉です。
執務室にいったん足を踏み入れたならば天下の政治を行うのであるので私心を挟んではならないという戒めです。町長時代、この言葉が私の指針でした。
私利私欲が入り込んでくると目が曇り正しい判断ができません。焦りも生じます。西郷の言葉を何度も読み返し心を整えようとしました。
もう一つ学生に参考文献としてドイツの社会学者マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』です。政治学の古典中の古典です。
政治家の条件として燃えるような情熱と冷静な判断力、それと結果を受け入れる責任感を挙げています。私は最後の結果責任が大切だと思います。
人のせいにするようでは政治家失格です。どんな結果であっても最終責任は私にあると宣言できるようであって初めて政治家に相応しいということです。
極めて高いハードルですが、言い訳が横行している現代の政治状況の中で政治家が徹底してかみしめる碩学の言葉だと思います。
岐阜県美濃加茂市の29歳の市長が30万円の事前収賄容疑で逮捕されました。昨年の市長選挙で全国最年少市長として注目を集めました。
本人は事実無根だと主張しているということですので今後の捜査を注目したいです。事実ならば、言い訳せずに結果責任を取ってただちに辞任するのが当然です。
首長という権力の座に座ることは誘惑と隣り合わせです。私利私欲を断つ鍛錬が必要です。それと弁解なしに結果責任を取る覚悟が求められます。