103歳の大往生
21日の午後7時過ぎ母がこの世を去りました。
先月誕生日を迎えたばかりで103歳でした。

一昨日の通夜、昨日の告別式、無事終了しました。
3人のぼくちゃんが大活躍でした。
通夜返しや忌中払いのあとの花束渡しなどなど。
いちばん最後の締めくくりは小学6年生のお兄ちゃんに任せました。
「皆さん本日はありがとうございました。」
簡潔で要領を得たひと言のあいさつでした。
母は10年前自らの意思で「すずろ」という近所の介護施設に入所を決断しました。
骨折をして段差のある自宅の暮らしが心配になったからです。
身近なところに血の通ったサポートをしてくれる介護施設があるのは心強いです。
人生100年時代の条件です。
母は極めて聡明タイプで記憶力が良かったです。
母にとって聡明さは長生きを支える大切な条件でした。
90代は新聞に目を通すのが日課でした。
昨年11月までひ孫たちとやり取りできました。
強じんな体力がなければ100歳は越えられません。
農作業で鍛えられたと思います。
どんなやり方でも身体を動かすことは健康で長生きの条件です。
学びましょう。
母は戦後の混乱期を乗り越えた後は開成町長だった父を陰で支えました。
生来の我慢づよさに磨きがかかりました。
人物評価は厳しかったです。
父が基準でした。
先の大戦で生死を賭して生還を果たしたことを評価してました。
反対意見に抗して自らのまちづくりを貫いたことは母の誇りでした。
それにひきかえ息子である私に関しては評価は高くありません。
生死が問われる戦場を潜り抜けた父に比べて甘く見えて仕方なかったのだと思います。
母は父と久しぶりに再会を果たし昔話に花を咲かせているはずです。
甘ちゃんの私を叱咤しようと思っている可能性あります。
人の死は肉体の死に過ぎません。
思いの世界ではこれからも交流可能と考えると身が引き締まります。
母の年になるまで30年以上あります。
心して生きないと母の厳しい一言が待っています。

