今こそ大切なのは平和を求める真摯な心

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(瀬戸屋敷 川澄館長のチョーク絵)

昨日、開成町のかやぶき屋根の古民家、瀬戸屋敷の土蔵で開かれているチョーク絵展を見ました。川澄館長が描いた50点の作品が並んでいました。

20数年前、開成町の文命中学校の校長先生を務めていた時に使われなくなった古い黒板に朝顔の絵を描いたのが描き出したきっかけだということでした。

川澄館長は、生徒が絵をじっと見つめているのを見かけチョーク絵の秘めている力を感じたのだと言います。最近の作品の中に平和を願って書いた数点があります。

平和を祈る詩が書かれ、その詩に合わせて絵が描かれていました。平和、何と素晴らしい言葉でしょう。この言葉を心に思うだけで暖かい光に包まれる感じがします。

しかし目に見える世界は、地球のあちらこちらで平和を壊す人間の所業ばかりが伝わってきます。人間は何と愚かな存在なのかと思わざるを得ません。

わが日本でも平和憲法が禁止してきた集団的自衛権が解釈によって変更され限定的とはいえ行使が可能となりました。一気呵成の解釈の変更でした。

国民の理解を得るためには慎重審議が必要と不退転の決意だったはずの公明党は、もろくも妥協の道に走りました。またもかという感慨に捕らわれました。

国会の周りを反対する市民たちが取り囲み集会を開き大いに盛り上がりました。多くの国民は議論の拙速な進め方に首をかしげている証だと思います。

集団的自衛権を認めるか否かは憲法9条の根幹中の根幹です。本来ならば憲法改正で国民に信を問うのが王道の政治の在り方です。

内閣の憲法解釈で変更するのは邪道と言われても仕方のない行為です。しかし、安倍政権の圧倒的な権力により王道政治は背後に退きました。

私は、与党の国会議員の中にも本当はこんなやり方ではいけないと思っている良心の持ち主は大勢いられると思います。もちろん野党の中にも。

国民は今回の一連の政治の進め方を見て安倍政権の持つ危険性を感じ取ったと思います。デモに参加するしないにかかわらずです。

戦争への道を開いてしまうかもしれないという疑念は多くの国民に共通のものです。警戒感を怠らずに静かな怒りを持ち続けることが大切です。

もし万が一戦争が目に見える形でやってきそうになったら今度こそ静かな怒りを行動に変えて待ったをかける国民的な運動へと高めることが求められます。

80年前のようにずるずると戦争の道を歩んでしまうことのないようにしないとなりません。1人1人の平和を求める真摯な心が結集することが平和の砦を築きます。