大雄山線開業100年と小田急線開成駅開業40年講演会

12日小田原鉄道歴史研究会の講演会があります。
ぜひお出かけください。令和7年資料展講演会


大雄山線が曹洞宗の名刹大雄山最乗寺への参詣鉄道として開業したのは1925年。
関東大震災のわずか2年後である事実に驚がくします。

震災で大雄山線沿線は壊滅的被害を受けました。
建設計画は中断したものの再開し開通にこぎつけ今年100年です。

関係者の不屈の精神を見る思いです。
最乗寺の2人の信者が働きかけたのが鉄道建設のきっかけだということです。

大雄山線は日本の敗戦とその後の混乱を潜り抜けました。
光明が差したのは富士フィルムの隆盛です。


1956年に富士フイルム駅が開業しました。
経済白書がもはや戦後ではないと宣言した年、高度経済成長の始まりでした。

しかし富士フイルムも業種大転換、第2の創業で拠点を移しました。
コロナ禍もありました。

一日の平均乗降客数は4千人弱と2010年代前半の5千人超から低下してます。
新たな展開に挑戦する時期です。

未来図を描く必要があります。
関東大震災を乗り越えたことを思えば困難は克服できると確信します。


小田急線開成駅は1985年に開業し40年乗降客数は伸び続け現在は1万2千8百人を越えてます。
開成駅の場合は開業前の20年の苦難が半端ではありませんでした。

開発方式をめぐり地域で反対運動がまき起こり開業が遅れました。
私の父が町長だった時代ですので当時の状況は鮮明に覚えてます。

父は1983年2月で町長を退き翌年急死しました。
開成町発展の原動力と位置付けていた開成駅は天上から見ることになりました。

開成駅周辺の開発は一気にとはいきませんでした。
2000年代に入り小田急電鉄との全面タイアップが実現し急展開しました。


私の町長時代です。
父の描いた青写真を現実にするとの強い思いがありました。

親子2代で町の発展に貢献できたと感謝してます。
小田急線開成駅をめぐっても不屈の精神が流れていると自負してます。