”野中広務魂”の継承者はいないのか

日経新聞に「風見鶏」というコラムがあります。
23日日曜日の紙面で元内閣官房長官の野中広務さんのことが書かれてました。
冒頭、先月20日の野中さんの生誕100年の会の模様が書かれてました。
「生きていれば混迷の政治をどう切り開いたか。」との声があちこちで聞こえたと。
私も参加していたので雰囲気はわかります。
野中さんのような泥をかぶる政治家がいないとの嘆きは全員が一致していたと思います。
コラムの記事の話に戻ります。
野中さんならどうさばいたかまでは突っ込んでません。
コラムならば多少境界線を越えたところで許されます。
私には高市政権に気兼ねしたと見えました。
野中さんは「2度と戦争をする国にしなうために闘う!」が身上です。
タカ派の高市さんをそもそも選択しません。
自社さ連立政権を画策した亀井静香さんが石破続投解散をぶち上げてました。
同志だった野中さんも同じ意見だと思います。
石破さんは度胸がなく退陣、国民世論の右傾化の流れに押されて高市政権が誕生しました。
野中さんならば反麻生連合を組んで徹底抗戦を始めたと見ます。
野中さんの麻生さんを許さないという怨念は根深いです。
麻生さんに支えられる高市政権と対峙したはずです。
大義名分は先ほど述べた2度と戦争をする国にはしないというものです。
もちろん連立離脱の公明党とはがっちりと手を結ぶのは間違いありません。
いつでも高市・維新連立政権を倒せる構えをとりつつ政局を回すのが野中流です。
永田町の緊張感は当然高まりますがこれが本来の政治です。
自民のハト派と公明を基軸に立民をも巻き込んで新たな連立を模索したことでしょう。
野中さんの魂がどなたかに乗り移って暴れる姿が見たいです。

