戦死した叔父の葉書

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私の父の妹、叔母が古い葉書を持って来ました。軍事郵便でした。太平洋戦争でフィリピンで戦死した叔父が自宅に充てて書いたものでした。

家を片付けていて見つかったということでした。検閲済みの判が押されていました。比島派遣部隊の10029部隊本部、露木敏男となっていました。

元気にやっている。日中は相当に暑いが朝晩は涼しく寒いほどで中々住みよいと書かれていました。日本にいる家族を安心させる内容となっています。

叔父は、1945年6月8日に戦死しました。葉書がいつ書かれたか日付は記載されていませんでした。叔父は、今生きていれば90代の後半です。

もはや勝利は全く望めない時期にフィリピンに派遣されて国のために散りました。艦船が撃沈されて遺骨も何もなかったと聞いています。

叔父は、獣医師を目指し日大の獣医学部で学んだと聞いています。国のためとはいえ余りに短い人生です。戦争で死ぬために生まれて来た世代です。

叔父の母親、私の祖母は、息子が戦死したことが心の奥底では信じられなかったのだと思います。「敏男は生きている。」と口にしてました。

「敏男が帰ってきた!」と玄関で待っていることがありました。夢で帰ってくる姿を見たのでしょう。息子に会いたいという母の思いに叔父が夢で応えたのだと思います。

叔母から届いた葉書は、祖母の遺影の中に入れることにしました。それにしても今叔父は天国でどんな気持ちでいるか聞いてみたいと思います。

中東では、パレスチナのガザ地区とイラクの2か所で戦闘が始まりました。また、ウクライナでは、民間旅客機が墜落し撃墜された可能性が強いと伝えられます。

日本周辺もきな臭い様相になっています。北朝鮮はミサイル発射を繰り返しています。尖閣諸島をめぐっての日中間の対立は深くなっています。

安倍政権は対中脅威論に基づいて集団的自衛権の行使を容認することを決めました。力で中国を抑止する姿勢が鮮明になってきました。

69年前に戦争に敗れ、2度と戦争はしないと日本は誓ったはずです。その純粋な思いが薄れ続けているという見方は大方の感覚だと思います。

戦死者は、日本の平和を願って散っていったと私は思います。戦死者の平和への思いを無にすることがあってはならないと改めて思いました。