評論政治からの脱却という大問題

8日東京赤坂のホテルで開かれた阿部知子さんのパーティーにサプライズゲストが登場しました。
石破茂前総理です。
石破さんの2人の娘さんが中学生の時に政治家と会う企画を立て選ばれたのが阿部さんでした。
理由は良い人という印象を持ったからでした。
ほのぼのとしたエピソードの紹介でしたが石破さんのあいさつは私を不愉快にさせました。
総理在職中に執念を見せた総理所感についての発言です。
戦争に突入してしまった過去を論じた内容です。
私には政治家である総理が行うものではないと思います。
やるかやらないのかを決め、やるなら断行するのが政治家の仕事です。
石破さんの場合は論じることが本業であるかのようです。
そんな石破さんを師と仰ぐ政治家がいました。
元衆議院議員の佐藤謙一郎さんで16日の朝日新聞デジタル版にインタビューが掲載されてました。
佐藤さんの父は元大蔵省事務次官で経済企画庁長官を務めた自民党の政治家です。
佐藤さんは父の跡を継ぎましたが政治改革を唱え自民党を離党しました。
石破さんとは政治改革をめぐって同志として活動した仲間です。
佐藤さんが早くに政界を引退した一方で師匠の石破さんは総理にまでなりました。
2人の分かれ道は青さの違いだと思います。
佐藤さんは理想に殉じるタイプで石破さんは理想を語ることに酔うタイプです。
共通項は実践への執着心の薄さです。
自民党の政治家の根っこが細っている現実を象徴しています。
石破さんは保守とは寛容だと述べていました。
意見を聞くのはもちろん保守の土台です。
問題はその次です。
聞いて何をするのかです。
聞いて論じるだけなら評論家です。
石破さんの評論政治は国民世論の離反を招きました。
現在の高市人気は石破評論政治への反動の要素があると見てます。
高市さんには評論ではない実践政治の匂いがするからです。
ただし高市総理に保守の基本である寛容の精神があるかどうかは微妙です。
日本は危うい道を歩んでいます。

