第10回小田原市民による8月15日を考える集い

(写真は、講師の飯田耀子さん)

昨日は神奈川県西部地域でも台風11号による影響で断続的に強い雨が降りました。小田急ロマンスカーが運休になるなど交通機関にも影響が出ました。

そんな天候の中、小田原市内のホールで「8月15日を考える集い」が開催されました。講演開始時間の10分ほど前に会場につきました。

座る席を見つけるのが難しいほどでした。120席用意された座席の一番前の席が一つ空いていました。残り物には福があります。

講師は飯田耀子(あきこ)さんです。80歳になられます。元中学校の社会科の教師で「戦時下の小田原地方を記録する会」の代表を務められています。

ご自身も小田原空襲を体験されたことから、小田原にも空襲があったという事実を伝えて行きたいという思いからずっと戦争体験の語り部を続けていられます。

本当に地道な活動を倦まず弛まず継続されたと感服します。飯田さんはこうした活動を認められ昨年度の小田原市民功労賞を受賞されました。

講演では、スライドで写真資料を映しながら丹念に説明されていました。お話しを聞いていて日本人は、国の命令に真面目に従順に遵う国民性だと思いました。

我慢して我慢して小学生から国のために軍事訓練をします。大きくなれば工場へ勤労奉仕です。若い女性がひたすら滅私奉公した訳です。

小田原空襲は、1945年8月15日敗戦の日の未明にアメリカ軍のB29によって行われました。他都市を空襲し余った焼夷弾を落とし400世帯以上が焼けました。

戦いは終わっても苦難は続きます。農家でないと食べ物がありません。進駐してきたアメリカ軍の残ったパンの配給に群がる子供たちの写真も紹介されてました。

講演の後、会場からの意見発表がありました。埼玉や東京からの参加者も発言されていました。会場が静まり返ったのは小田原市内に住む80歳の男性の発言でした。

幼少時代、旧満州に開拓団として長野から移り住んだということです。敗戦となりました。ソビエト軍が攻めてきます。自決するか逃げるかが問われました。

自決をすると決めた人たちは手りゅう弾で大人も子供の一緒に集団自殺しました。証言された方は、運よく逃げ帰ることができたと語られていました。

何という悲劇を目撃されたのでしょうか。その時の様子はまぶたに焼き付いて消えることはなかったと思います。戦争がいかに悲惨かという感情がこみ上げました。

8月15日を考える集いは、小田原の女性史の研究家の宇佐美ミサ子さんらが中心となって戦後60周年の節目の年に始められました。

来年は敗戦から70年です。安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認し戦後の外交方針が変わりました。他国の戦争に巻き込まれる不安も出てきました。

かつての戦争体験をまだまだ語り尽せぬ方々がいられると思います。70年の節目に発言する場を提供し議論の素材とする必要があると思いました。