記録的豪雨による広島の土砂崩れに思うこと。

時間雨量100ミリの雨のすさまじさを見ました。広島市北部の山裾に広がる住宅地を土石流が同時多発的に襲い掛かり39人近くの死者を出しました。

死者の数はさらに増える可能性があります。亡くなられた皆様のご冥福を心より祈ります。また、被災された方々にお見舞いの気持ちをお届けします。

大被害を出した地域の地名が広島市安佐となっていたのが気にかかりました。広島市内にも治水神禹王の石碑があってその地名が安佐だったからです。

足柄の歴史再発見クラブの佐久間俊治会長に昨日の朝電話を入れました。佐久間さんは広島出身です。被害が出たのは禹王遺跡がある場所より北だということでした。

佐久間さんが、足柄の歴史再発見クラブとして広島の禹王研究グループの会長に電話してお見舞いの言葉を伝えることになりました。

「大㝢謨」正面の碑銘の拡大写真

(写真は、広島市安佐南区にある大禹謨 広島市佐東公民館ホームページより)

広島の遺跡は、大禹謨(だいうぼ)といい広島市内を流れる太田川の上流部の治水の要衝に建てられている石碑です。1972年に建てられたものです。

建てたのは、当時の町長です。治水施設の完成の記念です。高さが190センチで幅が380センチです。大禹謨と刻まれています。

中国の治水神禹王の黄河の治水の功績を偲びつつ、故郷の治水工事の完成を心より祝福したいとの町長の熱い思いが伝わってくる石碑でした。

私は足柄の歴史再発見クラブの皆さんとこの巨大な石碑を見学に行ったことがあります。町長時代のことです。その時に見た山裾の住宅地が今回の被災地です。

今回の被害のニュースを聞いて直感しました。あの住宅地が襲われたのではないかと。大雨が降ると危ないなと誰しもが思うような住宅開発でした。

確かに記録的な豪雨です。しかし、山裾ギリギリ一杯まで住宅開発を推し進めた事実にも目を向けなくてはなりません。開発優先過ぎたという視点です。

しかも広島は土壌が弱いという地域事情があると盛んにメディアが報じています。まさ土と言われる花崗岩が細かくなった土壌の上に家が建っています。

崩れやすいと専門家が解説しています。だったらなぜ開発したのかという問題が生じるはずです。しかし、その点に触れる専門家は私は見てません。

今回の豪雨災害は収まっていませんので災害原因の分析はこれからです。記録的豪雨の方ばかりに目が行ってしまっては片手落ちです。

経済優先で開発してしまったという側面があるのかどうか、正しい開発だったのかどうかという町づくりの観点からもきちんと総括する必要があると思います。