平凡なことを黙々とこなす非凡な国民性を見つめ直す。
昨日、杉田廣善さんの人生勉強会がありました。先月出れませんでしたので二か月ぶりです。毎回毎回、なるほどと膝を叩くような発見があります。
十数人の小さな勉強会です。開催地は、開成町ですが、杉田先生は、千葉県の柏市です。杉田先生は車で来られますが運転手役をされている方は埼玉県の方です。
出席者も、東京の方が多く、神奈川県内でも平塚、大磯、湯河原から来られます。近場は山北だけです。開成町の参加者は私一人です。
杉田先生は、各地のこのような小さな勉強会に定期的に招かれています。勉強会は、東京都内を中心に徐々に増えてきていると話されていました。
杉田先生は、元々は大阪羽曳野市に本部を置く「新しい道」という宗教団体で活動していました。その後、団体から離れ独自の活動を継続されています。
85歳です。ゆったりと落ち着いていられ大人の風貌です。何を言われても怒りませんから何でも聞いて下さいと言われます。
杉田先生の教えの根幹は、一人一人が天から与えられた使命を果たせるよう導くことにあります。天という言葉がキーワードです。
昨日は、一人一人はひげ根という話がありました。人参のような根菜を思い浮かべてみると判り易いです。太い根があって細根が一杯出ています。
根はそれで終わりではありません。細根をよく見るとひげ根といわれる細い根が一杯ついています。血管で言えば毛細血管です。
毛細血管がなければ栄養のやり取りができず人は生きていけないのと同じようにひげ根がなければ植物も育ちません。一人一人はひげ根だと言われます。
一人一人のがひげ根の役割をきちんと果たして行って根が太くなり立派な国となります。当たり前といえば当たり前ですが当たり前ができていません。
日本はひげ根にあたる一人一人が優秀だと言われてきました。その日本らしさが失われつつあると杉田さんは警鐘を鳴らしていました。
ひげ根の一人一人が自分の欲望に絡め取られて勝手なことをし出すと、太い根にあたる国はおかしくなるのは、理の当然です。
一人一人は平凡でも全く構いません。立派な役目があります。平凡な役目の価値が良くわかってこそ非凡さも理解できるとも言われていました。
とかく特別なことをすることが優れていることだと思いがちです。しかし、ひげ根のように平凡な仕事を淡々とこなすことのすごさもある訳です。
日本人は平凡なことを黙々とこなす国民性を持っていると思います。一人一人がしっかり平凡な役目を果たすので強力なリーダーがいなくても国が保てます。
日本人のこうした国民性は諸外国から見ると非凡そのものと映ると思います。しかし、日本人がこの国民性を忘れて勝手な振る舞いをする傾向が出てきました。
日本は非凡な国から平凡な国へと転落の危機にある訳です。独裁的な強力なリーダーがいないと治められない国になってしまう危険性が出て来ているとも言えます。