安倍改造内閣の本質を考える。その2
今回の党役員・内閣改造人事で最大の焦点だったのは、幹事長の石破茂さんがどのような行動を取るかでした。石破幹事長は、当初は主戦論に傾いていました。
安倍政権にとって先の自民党総裁選挙で地方党員に得票では安倍総理を上回った実績のある石破さんは目の上のたんこぶ的な存在とも言えます。
集団的自衛権の解釈変更をめぐる対応で支持率に陰りが見えて来た時だけに石破さんを野に放つことは危険だと判断したのだと思います。
あの手この手で閣内に取り込もうと画策したと報じられています。最初は、防衛大臣として集団的自衛権行使容認に関わる法整備を担当してもらおうとしました。
石破さんは、拒否しました。安倍総理とは安全保障観が異なるとまで言い切った姿勢を崩しませんでした。原理主義者らしい対応でした。
しかし、閣内に入ることは受け入れて結果として地方創生の担当大臣に落ち着きました。主戦論は取らず安倍総理と妥協した訳です。
ひょっとしたら小さな乱が起きるかに見えた政局は静まりました。静まったと同時に政局の話題は、女性閣僚の登用に移り石破さんの影は薄くなりました。
石破さんとしては安全保障に関わる自らの信念を曲げず、安倍政権とも決定的に敵対することは避けることができたと総括していると思います。
私は、今回勝負に出れなかったことを見て、石破さんが総理大臣になる確率は相当に低くなったと見ます。小さな勝負ができない政治家は大きな勝負もできません。
かつて加藤の乱という政局のドラマがありました。2000年支持率低迷の森喜朗政権に対し自民党リベラル派のプリンス加藤紘一さんが反旗を翻しました。
野党が提出する不信任案に乗って一気にクーデターかというところまで行きました。しかし、剛腕、野中広務幹事長に締め付けられて不発に終わりました。
間違いなく総理になるといわれた加藤紘一さんは総理の座に座ることはありませんでした。謀反を起こした烙印は消えず存在感が徐々に薄くなりました。
石破さんは加藤の乱のように極端な行動に走ろうとしたわけではありません。無役になって地方行脚をして来年秋の総裁選を目指そうとしただけです。
安倍総理に取って代わろうととする政治家ならば当然の行動ではないでしょうか。この程度のミニミニ乱が起こせないとなると器が疑われます。
地位に就いていたいという願望が底流にあったと推測します。もっとはっきり言わしてもらえれば無役になることが怖かったのだと思います。
無役になっても支持者が集まるようでなければ一国の総理にはなれません。不遇の時期をどう乗りきるかを見せつけなければなりません。
石破さんは決定的なチャンスを逸しました。閣内に入ったことで言動への制約はきついです。手足をもがれた時期が長く続きます。総裁選挙に勝つ準備ができません。