立花隆さんのNHKスペシャルを見ながら死を考えました。

毎週楽しみにしているNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」、昨晩もソファーに座ってじっと見続けました。秀吉の狂気が伝わってきました。

その放送の後、9時からのNHKスペシャルでは、立花隆さんが人類にとって最大の謎、生と死を追いかけるドキュメンタリーを放送してました。

立花さんは、詳細な取材で事実を丹念に積み上げて行く手法で調査ジャーナリズムを切り開きました。その立花さんはガンに冒されてます。

死を意識せざるを得ない立花さんが挑んだのが生と死の謎をジャーナリズムとして解き明かすというとてつもない試みでした。

昨晩の放送では人が死んだら心がどうなるか、臨死状態になった時に見ると言われる夢のような世界の謎を追求していました。

世界的な脳科学者が臨死状態になった時に確かに見たという天国の様子は何故生まれるのかを現代の最先端科学で実証しようとしていました。

立花さんは脳内に発生する何らかの現象だと考えています。幻想が生じるメカニズムの解明するために最先端研究者のインタビューを続けます。

謎ははっきりしないままでした。天国は在るから在るんだという主張を超えるものはなかったように私は感じました。

しかし、私なりにハッとする実験場面はありました。人間は錯覚するということです。見てなくても何度も言われると見たように思います。

恐怖を覚える偽りの映像を特殊なカメラで見せつけられると実際の映像ではないと承知していても恐怖感を感じてしまいます。

ネズミの実験では、過去に受けた刺激から安全な場所に居ても怯えてしまうネズミの様子が映されていました。恐怖の記憶が行動を誤らせます。

私は、人間とは錯覚する生き物で錯覚の根本原因は怖れではないかと思えてなりません。怖れが消えれば違った現象が知覚されるはずです。

その極端な現象が臨死体験ではないかと思います。全ての束縛から自由になり怖れの感情が一切消え去った時に目の前に現れる現象です。

肉体から離れてトンネルを超えてお花畑に到着し、その先にはまばゆい光の存在がありその光に包まれ平和を取り戻すと臨死体験者は語ります。

この体験を科学的に再現するためには怖れをゼロ状態にすることが必要となりますが怖れゼロの条件設定が困難ですので実験は難しいです。

怖れを抱いている時と安心しきっている時の脳内を始めとする全身状態を比較することは現代の科学技術である程度可能です。

怖れを抱かざるを得ないような映像と臨死体験者の証言に基づいて作成した平和に満ち溢れた映像を見せた時の人体の変化に関心があります。

臨死体験にはもう一つ大きな謎があります。臨死体験者は、肉体から離れても知覚する主体が存在するということです。

肉体が無くなったことを一般に死と言います。死んでも知覚する主体があると言うことを一体どう説明すれば良いのでしょうか。

肉体から離れても存在する何かがあるとしか考えられません。私は、それを魂と呼ぶのではないかと思います。

そして、その魂を活動させるエネルギーの源がないと魂はつじつまがありません。それを神というのではないでしょうか。

目に全く見えない世界ですので仮説とならざるを得ません。しかしこの謎を解明しない限り怖れからの脱却は不可能です。