やはり地名は大切です。

昨晩、足柄の歴史再発見クラブの顧問の大脇良夫さんと会長の佐久間俊治さんが来られ懇談しました。お酒も入って楽しい語らいでした。

一番のテーマは、来年5月に開催予定の東アジア文化交渉学会開催でした。開成町の新年度予算に向けて提案書を出す時期です。

60人からの中国を始めとする外国人研究者を開成町に迎える町始まって以来の催しです。気合を入れて準備を進めます。

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全ては、足柄の歴史再発見クラブが2007年3月に小学生向けの副読本『富士山と酒匂川』を刊行したことから始まりました。

この副読本の編集過程で、大脇さんが、酒匂川の治水の難所に建てられた福沢神社の守り神が中国の治水神禹王であることを再発見しました。

そこから中国とのつながりが生まれ東アジア文化交渉学会という国際学会を誘致を提案できるまでになったことは感慨無量です。

大脇さんから私の自宅の近くを流れる河川の名前の話が出ました。神奈川県が管理している二級河川の「要定川(ようさだがわ)」です。

私の子供の頃は「権兵衛川」と呼んでました。なまって通称は「ごんべっ川」でした。江戸時代の絵図に「権兵衛川」で載っているということです。

1964年に河川法が改正され翌年から神奈川県が管理するようになって「権兵衛川」では格好が悪いと考えたのに相違ありません。

「権兵衛」さんが江戸時代に河川を管理していたから「権兵衛川」と呼ばれ続けていたに相違ありません。無断で名前を変えるのは失礼です。

せめて過去の名前の由来はきちんと残して置くことが必要だと思いました。同じようなことは各地でもあるのではないでしょうか。

南足柄市広町地区は、かつて猿山と呼ばれていました。大雄山線の終点の大雄山駅からほど近い場所で都市化が進みました。

猿山という名称はいかがなものかと思ったのです。広町という良くわからない地名に変身しました。これも由来を残す必要があります。

「権兵衛川」「猿山」は、名前を変えた気持ちも良くわかります。しかし、その土地の過去の災害の歴史を見失わせる名称変更もあります。

松田町から開成町に渡る新十文字橋の松田側の交差点の名称は、かつては「河難沢(かなんざわ)」でしたが今は「河南沢」です。

これは明らかに「難」という文字が与える印象が不吉なので「南」に変えたのだと推測します。名称変更は少し前に行われました。

この名称変更は問題を孕んでいます。「河南沢」では、1937年の7月12日に梅雨末期の豪雨で土砂崩れが発生しました。

大脇さんの調査ですと一日の雨量は370ミリ、近くを通る御殿場線の線路内に土砂が流れ込み御殿場線が遮断されたということでした。

「河難沢」という名称には土砂災害危険個所という教訓も含んでいます。名称を変えて印象を良くすることだけを考えてはなりません。

現代は異常気象時代です。強烈なゲリラ豪雨で再び土石流が発生するかもしれません。今は住宅が張り付いています。大災害になります。

地名を再び戻せとは言いませんが過去の災害の歴史に目をつぶることは許されません。災害の歴史を残す手立てが不可欠です。