「八百長と学芸会」の地方議会からの脱却はできるのか。

昨日、水曜日は、神奈川大学の講義の日です。朝7時半過ぎに開成駅に行くと町役場の部長がゴミ拾いをしてました。当番だということでした。

駅前では町長や社会福祉協議会の会長らが赤い羽根の共同募金をしていました。通り過ぎる訳には行きません。ささやかな募金をしました。

政策過程論では政策決定の重要なプレーヤーの地方議会の評判がひどく悪いです。どうしてなのかを考えました。

元鳥取県知事の片山善博さんが内閣府地方分権推進委員会のヒアリングの席上で語った言葉が印象に残っていました。

委員会の議事録を元に話を始めました。2007年の9月18日の委員会です。片山さんは地方議会のあり様を痛切に批判しています。

「ほとんどの自治体の議会では『八百長と学芸会』をやっています。『八百長』というのは、結論を決めてから試合をすることです。(中略)『学芸会』というのは、シナリオを決めてそれを読み合うとということで一字一句すり合わせをしたものを読む自治体もあります。」

舌鋒鋭いというか鋭過ぎる言い回しです。特にやり玉に挙がったのは北海道議会です。コテンパにやられています。

「北海道議会などは本当にひどい惨たんたるものです。前日の夜に全部翌日の質問と答弁を決めて、答弁に次ぐ再質問も決めてお互いそれをすり合わせをして、それから議会に臨むということで(以下略)」

北海道議会から反発が当然ありました。しかし片山さんとの間で論争になったという話は聞きませんでした。すねに傷があるのでしょう。

号泣県議で一躍マスコミの脚光を浴びた兵庫県議会議員の経験のある前衆議院議員の井戸まさえさんが雑誌『世界』の9月号で報告してます。

議会は一種の村社会だと言い切っています。新人議員も徐々にその社会のルールに慣らされて染まっていくのだと言っています。

かの号泣県議の政務調査費の抜け道も誰かが知恵を授けたはずだとほのめかしています。同じ穴のむじなが沈黙しているのではと。

井戸さんは非常識な議員が誕生する背景にその時の「風」で当選してしまう風潮を挙げています。イメージ戦術だけで当選が可能だからです。

議員になってしまえば頑張っても頑張らなくても報酬は多額、評価のシステムはないので任期中の評価は問われません。

いったんその座についたら辞められなくなるのが判るような気がします。大きな県の県議や大都市の市議は報酬が巨額ですので尚更でしょう。

土日もなく忙しいとはいえ大した責任もなく政務調査費も併せれば年間二千数百万が懐に入るのです。良い商売だと揶揄されても仕方ないです。

日本は人口減少が顕著です。地方は存亡の瀬戸際に立たせれることは確実です。地方議会は今こそ本来の閉めに目覚める時です。

大きな県の議員や大都市部の市議より小さな市町村の議員の方が危機意識が強く議会改革に取り組んでいるように思えてなりません。

少なくとも開成町では八百長や学芸会は考えられません。私は議員との質問調整は必要だという考え方でした。

議員に議論の素材となる情報提供をルール化しました。しかし再質問まで事細かくに調整し台本を書くなんてありえません。

北海道議会の現状は判りませんが驚きの実態でした。これではまともな論議を期待する方が無理です。地方自治という言葉が虚しいです。

兵庫県議会の号泣県議の姿もあ然として報道を見ていました。どうしてこのような議員が当選し多額の報酬を得てしまうのか暗くなります。

この現状は大きな政党、まずは自民党から襟を正して本気で改革に取り組みませんと地方自治は死んでしまいます。

有権者もその時々の風や政党だけで判断するのではなくその人物がキャリアや実績をきちんと判断する眼を養うことが大きな課題です。