「地方消滅」の具体策を考える。その3
(画像は、小田原市ホームページより)
昨晩のNHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」は、「小田原の落日」でした。北条氏は、1590年豊臣秀吉軍の大軍と対峙し籠城戦に入りました。
しかし、周囲の拠点となる城を全て滅ぼされた北条氏は、使者、黒田官兵衛の説得を受け入れて豊臣秀吉に降伏しました。
北条早雲以来およそ一世紀に渡った北条氏の繁栄は幕を閉じました。関東一円を配下に収めた拠点都市小田原は一城下町になりました。
江戸時代に入り徳川幕府の中核を担う譜代大名が小田原藩を治めるものの北条氏の繁栄とは比べられません。北条氏は戦国の覇者でした。
そして明治維新、小田原の決定的な転機が訪れました。廃藩置県で小田原は県庁所在地となりましたが1876年神奈川県に吸収されました。
ここから小田原はオールジャパンの存在から神奈川県西部の拠点都市という二流の存在に甘んじてきた事実は否定しようがありません。
しかし、小田原は交通の便利さはこの上なく良く小田原駅は5本の交通機関のターミナル駅です。隣接しているのは世界の箱根です。
再びオールジャパンの存在として躍り出る要素は有り余るほどあります。天国の北条早雲は今がチャンスとやきもきしていることでしょう。
北条早雲のように下剋上の戦国時代を切り開いた大胆な構想力で北条時代と同じように世界に開かれた都市づくりは可能です。
中途半端な開発事業に手を染めずに小田原という歴史性を活かしいかに世界に発信するかを考え直して欲しいと心底思います。
小田原市がまず手掛けるべきは小田原城です。これほど日本はおろか世界に発信できる歴史文化遺産は他にありません。
市民が天守閣の木造化を目指して動き出しています。小田原市が先頭になって市民に呼びかけて旗振りをすれば木造化は夢ではありません。
人口減少時代に対応するには外からの交流人口を増やして活力を維持することは当然です。どこも躍起になって考えています。
小田原は、考えなくてもそこにそっくりそのまま観光資源が存在している訳です。全国の垂涎の的ではないでしょうか。
どうしてもっと小田原城に照準を絞らないのか不思議でなりません。中途半端にいくつも開発事業に手を出してしまえば目立ちません。
一点突破全面展開の姿勢こそが市民の力を結集させる元です。財政だって助かります。余力の財源を福祉や教育に回すことだってできます。
これから50年後の小田原と県西部地域を想像して見れば何に集中しなくてはならないかに気づくのはそれほど難しくありません。
世界から人々がやってくる拠点づくりに取り掛かり、50年後も小田原が存続できる基盤作りに着手することが何より肝要です。