首長の奥の手、専決処分について
昨日は、神奈川大学の講義の日です。政策過程論で首長と議会との関係について講義をしてます。極端な対立状況に陥った時の話しをしました。
専門的な話になって恐縮ですが首長には議会の議決がなくても自らの意思を押し通す手段があります。専決処分です。
超法規的な措置ではなく地方自治法の179条と180条に規定されています。ただし一定の条件が定められています。
基本原則は、議会を招集する暇がない時に適用が原則です。災害が発生し、議会の招集が間に合わないので首長決済で代行するイメージです。
首長の専決処分の存在を一躍有名にしたのは、2008年8月から2011年1月まで鹿児島県阿久根市長を務めた竹原信一さんです。
職員の給与が地方の一般企業の勤務者に比べて高すぎるとして給与の削減を公約に掲げ断行する手段などに専決処分を活用しました。
議会にかけても反対派の議員の方が多数を占めているためです。こうした事態は法律では想定していなかったと思います。
普通は、議員を説得してどうしても無理ならば断念するか、あるいは職員組合側の同意を得るために時間をかけるのが普通です。
しかし、竹原市長は我慢しませんでした。竹原市長の姿勢を後押しする市民も多数存在しました。専決処分を連発しました。
竹原市長と議会、職員組合との闘争は、竹原市長がリコールを受けての出直し市長選挙で敗れたために終息した格好です。
しかし、専決処分が抱える問題の本質は全く解決していません。竹原市長のとった行動は法的に妥当なのかどうか明確ではありません。
ネットで当時のメディアの報道を見ていますと竹原市長は掲げた目標は良かったのだが実現する手段を誤ったという記事がありました。
竹原さんを支持した議員の感想でした。これでは中途半端です。議会として専決処分という仕組みの在り方に突っ込む必要があります。
職員給与の削減は、職員にとっては大問題です。一方で職員の過半数が700万円以上の給与を得ているという実態に対する反発もありました。
この現状打開に専決処分という手法は許されるのかどうかです。竹原市長が退陣したことでこの論点についての詰めはなされないままです。
昨日の講義の中でも問題は未解決のままだと学生に話しました。竹原市長の行動が突飛だとか狂っているとかは表面的な感想に過ぎません。
竹原市長は、武器を片手に突き進んだのではありません。地方自治法に従って行動をとった訳です。法に適合しているかどうかが本質です。
日本はどうもこの手の問題をあいまいなままにしてしまいます。混乱の元になった本人がいなくなったのだから水に流そうという姿勢です。
議会の方も職員の方も後ろめたさがあるからだと推測します。高額の給与批判は内心一定の妥当性を持っていると感じていたに違いありません。
しかし、専決処分といういわば首長の特権はどう活用するべきなのかは避けてはいけません。民主主義の難問中の難問です。
竹原市長に対する市民の支持は明らかに存在しました。市長は、法律にも適合していると強調しました。議会は反発を続けました。
その最終結果は、市長が混乱を引き起こしたから落選させたで幕引きです。はっきりと専決処分の限界を明示しませんでした。
メディアの追求もありませんでした。学者がこの問題で論陣を張ったという話も聞いてません。この手の問題、あいまいさは禍根を残します。