因島訪問記1
昨日は、神奈川大学の今年最後の講義の日でした。大学に向かう途中、横浜駅で携帯電話が鳴りました。亀井静香代議士からでした。
「遠いところから選挙応援に来てもらってありがとう。」と御礼の電話でした。大物代議士からの丁重な言葉に恐縮しました。
亀井先生は、78歳です。衆議院議員で現役最年長になりました。政界のご意見番として大いに活躍していただきたいと願っています。
無所属で小選挙区で勝ち上がるのは並大抵ではありません。亀井先生にとっても状況の厳しさは変わることがありません。
しかし、選挙結果は、自民党公認候補に2万5千票の差をつけ連続13回目の当選を勝ち取りました。見事としか言いようがありません。
10日の晩から投票日14日の朝まで因島(いんのしま)にいました。亀井先生の選挙区の広島6区は広大な選挙区です。
島根、鳥取県境の中国山地から瀬戸内海の島々までが範囲です。山の方は雪で島の方は日が差すということも実際にありました。
因島は、中世から戦国時代にかけて瀬戸内を支配した村上水軍の拠点の島です。苗字は村上がやたらと多いです。
広さは35平方キロ、農業と漁業と造船の島です。人口は2万6千人で、人口減少と高齢化、少子化が急ピッチで進んでいます。
原因は明らかです。日立造船の企業城下町として栄え1970年代のピーク時は人口4万5千人まで達しました。造船不況で反転しました。
造船の次なる産業が育っていません。かつて造船所だった土地は大手スーパーに生まれ代わっているところが目に着きました。
スーパーでは造船の雇用を確保できません。それどころか車がないと利用できませんので高齢者にとっては買い物が一仕事となります。
農業も高齢化によって危機がやってきています。因島は八朔(はっさく)の栽培を日本で最初に始めました。
八朔は、島の山の斜面に植えられています。管理が大変です。イノシシによる被害が甚大だということでした。
こうした因島の危機を救うために亀井先生らの尽力で大規模な公共投資が行われました。最大の事業が本州と四国を結ぶ橋の建設です。
3本ある橋のルートの一つが因島ルートです。広島県尾道市から愛媛県今治市へと立派なつり橋が架かっています。
しまなみ海道と素敵な名前が付けられています。因島から尾道まで普通車で1100円は高いです。観光以外ではなかなか使えません。
因島は自力で再生の道を断念し尾道市との合併に踏み切りました。2006年の平成の大合併の流れに乗りました。
当時の市長さんともじっくり話をする機会がありました。本当は村上水軍と縁がある島々で合併したかったといわれてました。
島連合構想です。こちらの方がワクワクしてしまいます。県境を越えての合併構想でしたので断念したということです。
対岸の尾道市と合併して人口は15万人に増えても全体としての人口減少は変わりありません。新たな手を打つ時期に直面しています。
因島の村上水軍の歴史を全面展開すれば、瀬戸内歴史文化観光都市として蘇ることは夢ではないと思います。
観光客を増やし農業、漁業の再生へとつなげていく方向です。素晴らしい橋が架かるなど基盤整備は相当進んでいます。十分再生可能です。