治水神・禹王に学び東洋の王道政治の復権を目指して
(画像は、ミツカン水の文化 40号)
「王道を歩むに限る。」、時折耳にする言葉です。目先を考えて小手先の策略を用いたところで上手く行かないという教訓の言葉です。
しかし、王道とはそもそも何を意味しているのか深い意味を考えることは余りありません。反対語から探って見るのも手です。
王道の反対は、覇道です。強大な権力を盾に力づくで支配するやり方です。逆が王道ですので権力ではない力で世を治めることになります。
具体的には、聖人が徳で国を治める徳治政治です。中国の儒教の考え方にその源流があり古来より政治の理想とされてきました。
尭や舜、禹の治世がそれにあたります。4000年以上も前の歴史です。いずれも伝説上の存在とされてきました。
2000年代になって禹だけは中国河南省での発掘調査の結果実在の人物であることが証明されたと中国側は発表しています。
治水神・禹王の禹です。禹は、儒教によって最高の指導者の一人、理想の徳治政治を実現した聖人の一人である訳です。
現代社会は、対立、紛争、戦争、天変地異、地球環境悪化、貧富の格差の拡大、幾多の困難な難問に直面しあえいでいます。
力づくの権力政治である覇道で解決できるはずがありません。力づくで抑え込める相手と戦っているのではないからです。
英知を結集して力を合わせて取り組むしかありません。覇道ではなく王道政治にその座を譲らない限り人類の先行きは暗いです。
王道政治の理想である治水神・禹王の業績にもっと光を当ててその政治の理想を現代に活かす時がやってきたと思います。
治水神・禹王は、黄河を始め大河の氾濫に苦しむ広大な中国国土を治め紀元前2070年に最初の王朝「夏」を築いたと言われます。
人物としての特徴は世のため人のための献身的奉仕の姿勢です。治水工事のために13年間も帰宅しなかったという逸話があります。
京都御所の御常(おつね)御殿に「大禹戒酒防微図(だいうかいしゅぼうびず)」という江戸時代末期に描かれた襖絵があります。
酒の美味しさに負けて飲み過ぎ仕事に支障が出たことを反省し酒を断ったという治水神・禹王の故事を描いた作品です。
自らの厳しく律する姿勢が王道政治の基本だということが良く伺われます。洋の東西を問わず国家リーダーたちに噛みしめて欲しいです。
特に本家本元の中国とその文化を受容した日本の指導者は治水神・禹王精神をもう一度見つめ直すことに力を注ぐ必要があります。
現代の危機を救う為政者の行動哲学として王道政治の復権が求められている時に本家本元や隣国がそっぽを向いてはいけません。
今年の5月9日、10日と開成町で東アジア文化交渉学会が開かれます。治水神・禹王が分科会の一つのテーマとなることが決定しました。
中国、香港、台湾、韓国、欧米から60人の研究者が訪問の予定です。日本の研究者の併せれば100数十人の国際学会となります。
この場で治水神・禹王研究を通じて王道政治を見つめ直すことの現代的な意義を伝えることができればと思います。
権力を振りかざすのではなく指導者が徳を磨き国家国民のために奉仕する姿勢を示すことが国を治める基本である政治哲学を広めて行きたいです。