二宮金次郎少年は、薪を背負って本を読んでいない。
(二宮金次郎像 ウィキペディアより)
今年の目標の一つは、郷土の偉人、二宮金次郎先生の本当の業績に迫ることです。物語として流布されたイメージを超えて実像を知ることです。
二宮総本家の当主である二宮康裕さんが書かれた『二宮金次郎正伝』を読み出しました。冒頭から考えさせられることばかりです。
二宮金次郎先生が残された日記や著書から読み取れる二宮先生と、物語として伝えられている二宮先生のイメージとの隔たりがあり過ぎます。
典型例が小学校で良く見かける二宮金次郎少年の像です。片手に中国儒教の古典『大学』を取りながら薪を背負って歩いています。
山に薪を拾いに行って背負って帰る道中勉強に勤しむ姿は、自分も子供たちに頑張らなくてはという気分にさせます。
しかし、少年時代二宮金次郎先生がこうした行動をとっていたのかどうか全く根拠がないとしたらどう思われるでしょうか。
二宮康裕さんはの二も屋金次郎先生の日記や著書を詳細に調べた結果、金次郎少年象の金次郎先生はあり得ないと言われます。
そもそも論ですが本を読みながら山道を歩くことはできません。相当にまっすぐで平らな道でも曲芸みたいな話です。できる訳がありません。
では、なぜ、本を片手に薪を背負いながら歩く二宮金次郎少年の像のイメージが誕生したかが問題となります。ルーツの問題です。
二宮康裕さんは日記の記述から二宮金次郎先生が20代になってから薪を確保する山林を購入したこと、書籍を購入したことを明らかにしています。
二宮金次郎先生は几帳面でどんな本をいくらで買ったのか詳細に記録を残しています。中国の儒教の古典も購入しています。
大人になって山林を買って色々な書籍を購入した事実と二宮金次郎先生のことだからこうであったに違いないという理想像が混同しました。
明治時代になって著名な作家幸田露伴が『二宮尊徳翁』を世に出しました。1891年です。その中に例の金次郎少年のイラストが載りました。
二宮康裕さんは人気作家の著書の影響は大きかったと言われています。大正時代になって愛知県内の小学校で銅像となって飾られました。
幸田露伴の本の元となったのは