テロと反撃の連鎖サイクル作動へ
まるで2001年の9月11日の惨劇がアメリカからフランスに移り再現されているかのような感慨を持ちました。
1・07と記憶されることは間違いない衝撃を全世界に与えています。犯人の逃走立てこもり警官隊の突入、衝撃は今なお継続中です。
フランスの風刺が売り物と週刊新聞の記者らが12人殺害するという超暴力は人倫からして許される行為でないことは明々白々です。
ただ、気にかかったのはテロの引き金になった風刺画です。どのような意図で書かれたものか詳しい解説がありません。
詳細に報道することによってイスラム過激派を刺激することを怖れて自粛している可能性があると見ています。暴力は自由な言論を怯えさせます。
私が関心を持っているのは風刺画がイスラムの誇りを傷つけ度が過ぎると誰しもが思わざるを得ない代物なのかが知りたいです。
自由な言論が民主主義の根幹であることは判りますが、だからと言って何でもありで誹謗中傷のしたい放題ということにはなりません。
一定の節度はあってしかるべきです。テロを糾弾するあまり最低限のモラルの問題を一切棚上げにするのには反対です。
そうした思考回路は、テロをしでかしたのはとんでもない奴らだからどんな行動をとっても許されるという過剰反発に陥りがちです。
今度はテロと反撃の連鎖の引き金になります。その結果、テロと全く無関係なイスラムの一般大衆に対する見る目が変質します。
敵か味方かの不寛容な社会の到来です。小さな暴力事件が頻発し、それがまた民族と宗教間の根深い対立を助長します。
二項対立の世界は判り易く感情を激化させやすいです。あいつは敵だ、叩けという感情にはまり込みやすいです。
フランス国内では怒りの感情が渦巻いていることでしょう。異様な雰囲気の中で冷静に正気を保つのは容易なことではありません。
言論の自由を堅持する民主主義とそれに敵対するイスラムみたいな劇画のような対立の世界へと導かれる危険性があります。
対立の結果、一儲けをたくらんでいる輩が、もしいるとしたらほくそえんでいることでしょう。テロの温床を叩けという武力衝突もあるからです。
こうなりますとアメリカの動向が気になります。フランスに働きかけて武力攻撃でテロを叩く共同戦線を持ちかけるのではないでしょうか。
イラク戦争の時はフランスはアメリカの武力行使に敢然として同調しませんでした。今度は自国がテロに襲われました。
アメリカと手を結び武力行使によるテロ撲滅に走るのではないでしょうか。武力紛争が世界に拡大するリスクが高まっていると思えてなりません。
2015年は、全く持って物騒で難儀な世界の到来を知らしめる幕開けとなりました。テロの暴力と反撃のサイクルが作動し始めました。
日本もテロへの戦いの戦線から太公望を決め込むことはできません。暴力に対する断固たる姿勢を示すことは当然です。
しかし両刃の剣の要素があります。アメリカが再び北朝鮮に対してテロ国家だという姿勢を強めている環境下です。
アメリカとテロとの戦いで共同戦線を張ることは北朝鮮との対立を激化させる危険性は否定できません。厄介です。